「篠原君、なにも君にやってくれとは、私は言っていない」
と伊東が言った。
「大勢でやるのかね」
「さあ、それを相談ろうと思っている」
「斬るなら、一人だね」
と、篠原は蠅をつまんで縁側まで立って行き、そこで捨てた。
「伊東さん、一人でやらなきゃ、この一件は露顕ばれるよ。ばれりゃ、事だ。近藤なんざ馬鹿だからいきりたって復習ふくしゅうするだろう。勤王にひきこむなぞは、水の泡あわになる」
「そこを私も考えている」
と、伊東は縁側の柱の方をチラリと見た。
そこに、例の男がいる。
莨たばこを吸っている。狐色きつねいろの皮膚が、半顔、庭の照りにはえてうっすら苔こけがはえたように青くみえた。
唇くちびるが薄く、右の小鼻からしわ・・が一本、唇のはしへ垂れている。
六年。
この男も老いた。
武州八王子の甲源一刀流道場のかつての塾頭じゅくとう七里研之助である。
長州、薩摩屋敷に流寓りゅうぐうしていたが、今では、京の勤王浪士の顔役のひとりである。
伊東甲子太郎を薩摩の中村半次郎(桐野利秋)に手引きしたのも、七里の働きである。
「じつは七里さんが」
と、伊東は言った。
「浪士連をあつめて斬やりたい。とおっしゃっている。七里さんのいうところでは、我々がやると、きっと洩もれる。代行してさしあげる、とおっしゃるのだ。我々としては能のない話で汗顔のいたりだが、そうやってもらうとsとの仕事がやりやすい。近藤を引き寄せて隊を勤王の義軍す、ということが」
「しかし七里さん、あの用心深い桶屋をどういうぐあいにおびき出すのです」
と、篠原が、縁側へ顔を向けた。
逆光の中に、七里研之助がいる。ぽん、ときせる・・・の雁首がんくびで吐月峰はいふきをたたき、ひどく小さな声で言った。
「あの男の性分は心得ています。ふるいつきあい・・・・ですからね」
「どうやら、怨恨えんこんがありそうですな」
「いや、皇国のためです。新選組を討幕の義軍たらしめるには、この程度の危険はなんでもないことです。あなたのおっしゃあの桶屋ひとりを斃せば、新選組のたが・・はばらばらにはずれる」
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