~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅶ-Ⅲ』 ~ ~

== 現 代 語 訳『平 家 物 語 上』 ==

著 者:尾崎 士郎
発 行 所:株式会社 岩波書店
殿上の闇討ち   ♪
昔の権力者は、地位の安定してくるとやたらに、お寺とか、お墓とかを建てる習慣があったらしい。人の力では及びのつかない、神仏の加護を借りて、権力の座にいつまでも止まることを願うという心理にもとづくものであるる。鳥羽院もかねがね三十三間の御堂を建てたがっていた。これが忠盛の尽力で完成した時は、大へんな喜びようだったといわれる。そのとき備前守だった忠盛は、但馬国の国司に任ぜられ、その上、あんなに待ち望んでいた昇殿を始めて許された。時に忠盛は、三十六歳の男盛り、その感激は又ひとしおであった。
ところが、ここに意外なところから、反対運動がもりあがってきた。それは、いままでさしたるライバルもなく、呑気にあてがい扶持に満足していた公卿たちである。
「どうもあの男は、唯のネズミではない。今の内に始末しておかないと、とんだことになるぞ」鷹揚な公卿の中にも、敏感に頭の働く男がいたようである。
それが、事のはじまりで、天承元年の十一月二十三日、豊明の節会の繁雑さにまぎれて、やっつけてしまおうという計画がいつか出来あがってしまった。
一方忠盛の方も面白くない胸の内を、お世辞笑いにまぎらしている公卿の気持が手に取るように判るから、こいつは今に何か面倒なことがあるなと思っていた。とこかく計画というものは、大方、どこからか情報が洩れて来るものだが、恐らくは、忠盛ほどの男だから、密偵の一人や二人が、忍び込ませていたに違いない。事前に、計画は筒抜けになった。
勿論、こういう挑戦聞いて、もともと、武士の生まれで、武器をとっては、後れを取らない忠盛のことだから、内心は、むしろほそく笑んでいたのかも知れないが、「まあ本職の武士が、遊び人風情の公卿なんかにやられたとあっては、名折れだし、第一、近頃、目をかけてくれている鳥羽院だった、がっかりしちまうだろう」── 武骨者にしては、用意周到な智恵者でもあった忠盛は、何を思ったか、わざわざ刀を小脇にかかえて参内した。
戦場で鍛え上げた忠盛の目は、宮中のうす暗いところで、かすかに人の気配のするのを敏感に感じ取った。彼はやおら、刀を抜き放つと、びゅん、びゅんと振り廻したからたまらない。大体が、臆病者揃いの公卿たちは、闇夜にひらめく一閃のすさまじさに、かえって生きた心地もなく、茫然と見ていただけだった。
主人が大胆な男だから、家来の方もまた粒よりだ。左兵衛尉平家貞という男は、狩衣の下にご丁寧にも鎧までつけて、宮中の奥庭に、でんと御輿を据えて動かない。蔵人頭の者が、目ざわりだから、どいてくれと言うと、こっちは待ってましたばかり、
「どうも今夜あたり、闇討があるって話ですね。やっぱり主人の死に際は、見ておきたいからね」と酒々と答えたまま平気な顔をしていたという。
ここまではっきり言われては、どうにも仕方がない。闇討計画は、自然、おじゃんになってしまった。
やがて節会がにぎやかに始まると、忠盛も、鳥羽院にうながされ、舞を舞いはじめた。武芸にすぐれ、度胸満点の忠盛も、舞の方は余り得手ではない。それにこの人は生まれつきの眇目である。眇目の」踊りは、どうひいき目に見ても、余り優美ではなかったろう。それを公卿達は喜んだ。日頃のうんぷんをはらすのはこの時とばかりにはやし立てる。
「伊勢平氏は眇目、伊勢平氏は眇目」
この単純な言葉の中には、忠盛の自尊心をおそろしく傷つけるものがあった。
伊勢は元々、平氏の本拠である。ここはまた、陶器の産地であって瓶子や酢がめが作られる。
今は、昇殿も許され、殿上人に伍して舞う身ながら、元はといえば、お前なんか、伊勢の田舎者じゃないか、ひっこめ、ひっこめというわけなのである。
さすがに忠盛も、この意地悪な公卿共の相手が、わずらわいくなってきて、刀を主殿寮に預けるとさっさと帰って来てしまった。
ところで、腹の虫のおさまらないのは公卿達である。闇討、ばれてしまうし、折角、酒のサカナにして、満座で恥をかかせようと思うと、とっとと帰ってしまうし、このまま引き下がるのは、何としても業腹である。すると、そのい一人が、
「大体節会の晩に、刀を持って来るというのは、不見識きわまる」
と言い出した。
「まったくだ、第一、あいつは、武装兵のお供まで連れていたんだぞ」
「こりゃ、明らかに、法律違反じゃないのかな」
理由さえつけば、でっちあげは、お手のものである。早速、代表者が、鳥羽院のところへ訴えて来た。
呼び出しが来ても、しかし、忠盛はあわてなかった。むしろ、今来るか、今来るかと待っていたところである。心配そうな鳥羽院や、ざまあ見やがれとでもいった公卿達を尻目にかけて、彼の弁舌はさわやかであった。
「どうも、私の知らないうちに、家の者が、勝手に何かしたらしいですなあ。何か不穏な噂でも訊き込ん、心配して来たんじゃないかと思っています。もし何なら、呼び出しましょうか? どうも近頃の若い者は、気が早くて困りますよ。何? 刀 ああ、あれは主殿寮の人に渡した筈ですよ、とにかく、中を見てから、文句は聞かせて頂きましょう」
こういった調子である。ところで問題の刀が提出されてみて、公卿達は、あっと驚いた。中には銀箔を塗った木刀が、麗々しく、黒塗のさやに納まっていたのである。
2023/10/17
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