清盛は、五十一歳の時、出家し、浄海と名乗った。大病にかかったのが、きっかけで、さしもの彼も、少しばかり、気が弱くなったらしい。しかし、たちまち、病は全快、彼はつるつる頭を撫な
でながら、「まだ当分生きられるぞ」といってほそく笑んだ。
とにかく、平家一族の繁栄振りは、ちょと類がなかった。かつての名門の貴族たちにしても、今では、まともに顔を合わせられない有様である。
平家に非ずんば人に非ずといった言葉も、むしろ当然のように迎えられたし、六波羅ろくはら風と言えば、猫も杓子しゃくしも、右へならえ、烏帽子えぼしの折り方やら、着付けの仕方まで、皆が平家一族を真似するのである。
こういった平氏の専横に対して、不満の声のない方が不思議な位なのだが、そこはそれ、万事、ソツのない清盛入道は、言論弾圧の機関もちゃんと用意していた。いわゆる平家直属の秘密警察とも言えるこの一隊の正体は、十四、五の少年部隊である。髪をお河童かっぱに、赤い直垂ひたたれを着た禿童と呼ばれる面々は、街々の角々で、一寸ちょっとした噂うわさ話にさえ、聞耳をたてていた。一言でも、平家の悪口なぞ、言おうものなら、たちどころに、家財没収、強制収容の憂き目に会う。今はただ、眼をとじ、耳をおさえ、口をふさいで、人々は、黙々と平家の命に従うばかりである。それを良いことにして、禿童かぶろたちは、京の街々を、我が物顔に歩き廻る。今日の愚連隊どころではない、絶対の権力を背景にしているだけに、それはもっとも始末の悪いものだったにちがいない。
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