~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅶ-Ⅲ』 ~ ~

== 現 代 語 訳『平 家 物 語 上』 ==

著 者:尾崎 士郎
発 行 所:株式会社 岩波書店
代 の 后   ♪
とかく戦乱がうち続き、世の中が騒然としてくると、倫理とか、道徳といったものが無視されがちである。
平家一門の栄耀栄華えいようえいがの陰には、敗戦の不運に泣く源氏の将兵があり、又、天皇と上皇は、互いに牽制し合いながら、政権を狙うという、不穏な空気が時代を支配していた。
ところで大ていのことには驚かなくなっていた人々が、こればかりはと眉をひそめた話がある。
近衛院このえのいんきさき太皇大后宮たいこうたいこうぐうと呼ばれる女性が話題の人である。右大臣うだいじん公能きんよしの娘で、天下第一と言われる程の美貌の持ち主であった。先帝の死去の後は、近衛川原このえがわらの御所に、静かな明け暮れを営んでいた。
これに目を留められたのが、二条にじょう天皇で、元々、女好きのみかどであったが、事もあろうに先帝の未亡人に想いを寄せ始めたのである。もちろん未亡人とは言え、まだ、二十二、三歳、花の盛りを過ぎたとはいっても、このまま、一生後家暮しで終わらせるには、惜しい程の器量であった。天皇は、近衛川原に使いをやって想いのたけを打ち明けたけれど、大宮の方では、てんで相手にもされなかった。ところが、そうなると執心が一層つのるものらしい。とうとう宣旨せんじを下して、直接右大臣に働きかけたのである。こう事が公になっては、公卿たちも黙っていられない。早速、会議が開かれて、討論が始まったが、事が、事だけに、無論、双手もろてをあげて賛成する者はいない。とう則天武后そくてんぶこうという先例はあったも、これは他の国の話で、日本ではこういう例は今迄に一度もないのである。
上皇始め、一同大反対だったが、しかし、そうなると、。ますます愛恋の情がつのってきたらしい。
「自分ほどの身分で、心にまかせぬことがあるものか」と天皇は勝手に入内じゅだいの日取りまで決めてしまったのである。ここまで来てはもう、どうにも仕方がなかった。
大宮としては、余り気乗りのしない結婚である。それもひどく浅ましいことのような気がして、終日、涙に打ち沈んでいた。
「全くあの時、先帝と一緒に死んでしまえば、こんな辛い目にあいませんでしたのに」と嘆き悲しむのである。その娘の心を哀れと思いながらも、父親は父親で又、別の望みに心をときめかしていた。
「何にしても勅命が降りた以上、仕方がないよ、まあ仰せに従うのが幸せなことだと、私は思うね。ひょっとして、もしお前に男の子でもできてごらん、お前は国母こくも、私は外祖父ってことにならないとも限らないんだから」
父親の本心を知るにつれても大宮の心は一層、深い憂愁にとざされていった。
   うきふしに 沈みのやらで かわ竹の
      世にためしなき 名をや流さん
という哀れな心境を、世間の人々もいつか聞き知って、そっと同情の心を寄せていた。
入内の日が来たが、大宮は、中々家を出ようとしないのを、父の右大臣が無理に車に乗せたほどである。
内裏だいりの様子は、先帝のいた当時と少しも変わっていないのが、又、大宮の涙を誘った。
当時の楽しかった結婚生活が、ありありと思い出されて来て、返すがえすも、我が身の不幸がしのばれてくるのであった。
入内の後は、大宮は、麗景殿れいけいでんに住み、遊び好きで、政治の嫌いな天皇に、何かと政務を見る事をすすめていたという。変則な時代の犠牲者とも言える女性の一人である。
2023/10/22
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