~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅶ-Ⅲ』 ~ ~

== 現 代 語 訳『平 家 物 語 上』 ==

著 者:尾崎 士郎
発 行 所:株式会社 岩波書店
鹿しし たに (二)  ♪
ところで、成親と、動機こそ違え、志を同じくする者は、まだ幾人かあった。
彼らがいつも好んで寄り集まりの場所にしたのは、鹿ヶ谷ししがたににある、これも同志の一人俊寛しゅんかんの山荘である。
ここは、東山の麓にあり、後は三井寺に続いた要塞堅固なところで、こういった陰謀を企むには、まさに持って来いの場所だったのである。
ある晩、後白河院が、お忍びでここにお出でになり、話がいつか、平家に対する不満から次第に、平家を葬る具体的な話しになりそうになってきた。
後白河院のお供で席に連なっていた浄憲法印じょうけんほういんは思慮深い男であったから、
「まだこの種の話合いはすべきではない。それに、こう人数が多くては、どんな事で洩れるかわからない。とにかく、事は慎重にはかるべきだ」
と、一座を眺め廻して言った。おたがいが、まだ腹の探り合いをしている最中だから、浄憲の言葉は、もっとももなのだが、他の連中は、なんとなくしゃくにさわる。成親などは、顔面蒼白そうはくになって立ち上がり、浄憲に詰め寄ろうとした拍子に、着物の袖がふれて前にあった瓶子へいしが倒れた。
「どうしたんだ、成親」
後白河院も、座のしらけた様子に、少し腹立たしそうに成親に言った。
「いやあ、平氏が倒れたのです。目出度い事ではありませぬか」
当意即妙の思いつきである。
途端に、院の顔色がさっと晴れやかになった。
「何か茶番でもやらぬか」
院のお声がかりで、平判官康頼へいはんがんやすよりがついと前へ出て来た。
「余りに、へいしが多過ぎて、酔いの廻るの早いこと」
「はて、さて、どうしたものじゃろうか」
俊寛が直ぐ後をうけて言った。
「首を取るのが、一番じゃ」
西光さいこう法師は、そういうとたちまち、瓶子の頭を切り落してしまった。
これには、一座が拍手喝采で、後白河院もすこぶる機嫌がよかった。浄憲だけが、余りの他愛のなさに、怒りも出来ず、押し黙っているだけであった。
これまでのところ、名前のわかっている陰謀荷担者は、近江おうみ中将入道蓮浄れんじょう俗名成正なりまさ法勝寺執行ほっしょうじしゅぎょう俊寛僧都そうず山城守基兼やましろのかみもとかね式部大輔雅綱しきふのたいふまさつま、平判官康頼、宗判官信房そうはんがんのぶふさ新平判官資行しんjへいはんがんすけゆき摂津国せっつのくに源氏多田蔵人行綱ただのくらんどゆきつなといった連中で、他に北面の武士が多かった。
この中で、俊寛というのは、京極源大納言雅俊きょうごくのげんだいなごんがしゅんの孫であるが、この雅俊が、奇行の」多い変人として知られていた。武士でもないのに、気性の激しい、怒りっぽい男で、むしゃくしゃしてくると、自分の屋敷の前に人を通させないというような、とにかく変った男だった。
この祖父の血は、俊寛にも脈々とつづいていたらしく、僧侶といっても、頭を丸めているだけの話で、彼は荒々しい、人をった傲慢ごうまんさと言い、祖父そっくりで、陰謀好きの事件屋であった。
この謀みに多く加わっていた北面の武士とは、白川院の時に始めて置かれたものだが、この時代になると、相当羽振りをきかしたもので、中には、五位以上に叙せられ、昇殿を許された者もあり、公卿を公卿とも思わぬ連中が多かった。
中には、知勇に優れ、実力で地位をかためてゆく者も何人かあったが、故少納言入道信西しょうなごんにゅうどうそいんぜいの家来で師光もろみつ成景なりかげ等も、ひときわ目立った才能のある武士で、それぞれ、左衛門尉さえもんのじょう、右衛門尉になったが、信西が殺された時、同時に出家して名を改めた。この師光が、西光であり、成景が西景さいけいである。
2023/10/26
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