~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅶ-Ⅲ』 ~ ~

== 現 代 語 訳『平 家 物 語 上』 ==

著 者:尾崎 士郎
発 行 所:株式会社 岩波書店
かわいくさ  ♪
安元あんげん三年三月五日、藤原師長もろながは太政大臣、その後を重盛が襲って内大臣に任命された。当然内大臣になるべき、大納言定房さだふさを越えての栄進であった。
ところで話は二年程さかのぼって安元元年加賀守かがのかみに任ぜられた師高もろたかという男があった。
彼は例の西光の息子である。この男、人を人とも思わぬ暴君で、加賀国一円に暴政の限りをつくし、悪評ふんぷんたるものがあった。
ところでこの弟の師経もろつねが、又兄貴に輪をかけたような乱暴者で、加賀の代官に任ぜられた時、鵜川という山寺で、僧侶がお湯を沸かして浴びているのをみつけると、あっというまに、入り込んで来て、僧を追い出し、自分が浴びたあとで、馬を洗わせるような事をやった。
怒った坊主たちは、不法侵入をなじって、追い出そうとしたが、師経の方も、意地になっているから、弓矢にかけてもと頑張って動こうとしない。
坊主たちも今はこれまでと、たちまち、射合い斬り合いが始まったが、師経の馬が脚を折り、どうも戦況も不利なので師経は一先ず、総勢を収めて、退却した。
夜に入ると、今度は新たな加勢を千余人引連れ、一つ残らず、寺の内を焼き払って揚々と引き揚げた。
寺を焼かれて、このままおめおめ引き下がる山寺の坊主ではない。まして鵜川は、加賀国にその由緒ゆいしょも古い、白山はくさん神社の末寺なのだ。
七月九日の暮方、白山三社八院から成る二千余の僧兵は、智釈ちしゃく覚明かくみょう宝台坊ほうだいぼう正智しょうち、学音といった、全寺きっての老僧を先頭に、師経のやかた目指して押し寄せて来たのである。
明日の夜明けを待って総攻撃ということに決まった。面々は、唯じっと静まり返ったまま時の過ぎるのを待っている。
暗い闇の中に、時折、稲妻いなずまが走る。その度にかぶとの星が、夜目にもはっきりと、きらりきらりと輝くだけで、人のそよとも動く気配も感じられないのが、一層、不気味さを誘う。
館の高窓から、この様子をちらりと見た師経は、戦わぬ先に臆病風邪を起し、こっそり夜逃げして京へ行ってしまった。
あくる朝、待ちかねた一同が館まで来てみると、中はも抜けのからである。人の子一人姿が見えない。歯ぎしりして悔しがった僧兵達は白山中宮ちゅうぐう神輿みこしをふり立てると、山門に訴えようと、比叡山に行進を開始した。
昼夜兼行の強行軍で八月十二日、比叡山の東坂本ひがしさかもとに御輿が到着すると、何の前ぶれか、北の空から雷鳴がとどろき、いつか都の空にも拡がり、雪が降り出して、みるみる、山上から、洛中くまなく真白になってしまった。
白山の神輿を迎えて、いやが上にも、士気のたかまってきた比叡山三千の僧、及び白山七社の神官達は、日夜、祈禱に専念すると同時に、師高の流罪、師経の禁獄という、二大要求を掲げて、朝廷に早期裁決を迫った。しかし、その裁断は、一日伸ばしに伸びて、一向にご沙汰の様子がなかった。心ある公卿等も、陰では、成行きを心配し、
「とにかく、敵に廻したら、うるさい山門の事だし、昔から、山門の事では、幾多の重臣が、ひどい目にあってるんだから、師高ぐらいの人間なら、さっさと、山門の要求を れてしまえばいいのに」
と、言う意見もあるのだが、なまじ公けに事を持出すと、どんな目にうかも知れず、我が身可愛さに、みんな口をつぐんでいるのであった。
2023/10/27
Next