~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅶ-Ⅲ』 ~ ~

== 現 代 語 訳『平 家 物 語 上』 ==

著 者:尾崎 士郎
発 行 所:株式会社 岩波書店
西さい こうが 被 斬き ら れ  (一)   ♪
山門の衆徒が、前座主ざすの流罪を妨害して、山へ連れ戻した知らせは、後白河法皇をひどく怒らせた。
「山門の大衆どもは、勅命を何と心得て、このように言語道断のことをするのだろうか?」
側にはべっていた西光法師も、前座主帰山の知らせに何か手をうたなくてはと、考えていた矢先だから、ここぞとばかり、一ひざ進めると、
「山門の奴らの横暴な振舞は今に始まった事ではございませぬが、此度は又以ての他の狼藉ろうぜき振り、これは余程、厳重な処分をいたさねば、後々までも禍根は絶たれぬものと思います」
したり顔に申し上げた。とにかく讒臣ざんしんは国を乱すということわざがあるが、西光らもその良い例で、何かと、自分の都合のよいように法皇の心を引き廻していたともいえる。
こんな噂が山門にまで伝わって来て、中には、大納言成親に命じて既に山攻めの支度が始まったなどという者もあり、そうなってくると、「勅命にはそむきたくない」「いや勅命よりも座主が大事」という二派に意見が別れて山門の中で、仲間割れも起こりそうな状態である。妙高坊にある明雲前座主は、気がかりで仕方がない。
一度勅命を拒否した以上、今度はどんな目にあうのかと、夜もおちおち眠れぬ始末なのである。
ところで話は変わって、内外多事の情勢で、この所、例の陰謀運動も、はかばかしくはかどらない。
とにかく平家は、びくともしない程不動の位置を保っているし、六波羅の守りは固い。
一寸やそっとの謀反むほんでは、ゆるぎもしそうもない現状に、いち早く気づいたのは、鹿ヶ谷ししがたにの定連の一人、多田蔵人くらんど 行綱である。彼はかつて、新大納言成親から、
「貴方、一人が頼みです。もしこの事に荷担下さるなら、恩賞は思いのまま、これはまあとっておいて下さいよ」
弓袋ゆぶくろの料にと白布五十端を送られた事があった。
貰ったものは、遠慮なく、家人に使わせて、着服してしまったものの、元来が気の小さい男だから、どうも不安で仕方がないのである。
大納言や西光は、まるで簡単に平氏を滅ぼすことが出来るようなことを言うけれど、それも、あの人里離れた鹿ヶ谷でこそ、安々と通る陰謀であって、実際、これが表に現れた時に、そううまくゆくかどうか、何よりも、先ず自分の命が危ないのではないか。
彼らは、他人の命の事などさして気にもとめていないが、自分にとっては大切な命、そうやすやすと殺されるのは真平まっぴらだ。── そこまで考えてくるうちに行綱の胸の中には、どうしても、この事を清盛に話してしまわなくてはという考えが、次第次第に広がっていくのを押さえる事が出来なくなってきた。
「返り忠をすれば、命は助かる、いやそれだけが、自分の命を助ける唯一の道だ」
そこまで考えると、もう居ても立ってもいられない気持だ。今夜中に話してしまわなければ、明日になれば又どんな事になるかも知れない。とにかく早い方がいい。
行綱は、馬の支度をさせると、夜明けの京の街を、西八条めがけて走り続けた。
額に汗をみなぎらせ、真蒼まっさおな顔に息使いも荒く、西八条の邸に入って来た行綱に、家来も驚いて、早速、清盛の所に知らせた。
「何、行綱だと? めったに来もしない奴が、又何でこんな夜中にやって来たんだ? とにかくおそいから、わしは逢わん、盛国もりくに、お前が、言伝てを聞いてこい」
清盛は傍らの主馬判官しゅめのはんがん盛国に言った。
暫くして盛国が戻って来て、
「何か、きじき、お話したいとか」
「直じきだと? 一体何だろう?」
さすがに清盛も、行綱の唯ならぬ様子に、何事が起こったのかと、不安になってきて、自分で渡殿わたどのの中門まぜ出て来た。
「この夜更けに、一体、何の用で、わしに逢いたいのじゃ?」
「実は、昼のうちは人目につきやすく、中々その折もございませんで、夜中おお騒がせしてまことに心苦しいのですが、このところ、後白河院の御所で、兵具ひょうぐを整え、軍兵ぐんぴょうを招集しているご様子はご存じでございますか?」
「ああ、あれか」
清盛は、人騒がせな男だと思いながらのんびり答えた。
「あれは、何、叡山攻めの支度じゃよ」
「それがそうでないのでございますよ」
行綱は、身近く清盛の側に寄ると小声で囁いた。
「実は、平家ご一門にかかわる事でございまして、れっきとした謀反むほん の準備なので」
「えっ?」
清盛も一瞬、さっと顔色を変えた。今の今まで、のんびりと行綱と話をしていた清盛とは人が違ったようだった。目がきっと坐り、眉がぴりぴりと動いた。体が小きざみに震え、今にも行綱に飛びかかりそうである。
「院はご存知なのであろうか」
「もちろんでございますとも、第一、軍兵の招集は、院宣いんぜんということでお集めになりましたもので、ご存じになたぬ筈はございません。いつぞや、鹿ヶ谷の山荘で、院もお出での席、こんなこともあったのでございますよ」
と陰謀の始めから終わりまでを、ある事ない事まぜこぜてしゃべりたてた。
清盛はまなじりをぴくぴくさせなから、それでも最後まで聞いていたが、
「うん、わかった、ご苦労だった」
というが早いか、自ら、大声で、侍達を呼び集めに奥に入って行った。
「既に火は放たれた」火つけ役の行綱は、任を果たした安らかさと同時に良心の呵責かしゃくも加わって、別に追手などいるわけもないのに、はかまのもも立ちを高くとると、そのまま外へ逃げ出し、家に帰ると、ひっそり小さくなっていた。
清盛は、一族郎党をその夜の内に、ひそかに西八条の邸に招集した。寝耳に水の謀反の知らせに、人々はまだ、半分、耳を疑ってはいたが、とにかく清盛のお召しなので、右大将宗盛、知盛らの諸将も甲冑かっちゅうに弓矢という、完全武装で集まって来た。その数はおよそ六、七千騎であった。
2023/11/02
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