~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅶ-Ⅲ』 ~ ~

== 現 代 語 訳『平 家 物 語 上』 ==

著 者:尾崎 士郎
発 行 所:株式会社 岩波書店
西さい こうが 被 斬き ら れ  (二)   ♪
翌くる六月一日の未明、清盛は、検非違使けびいし阿倍資成あべのすけなりを召し、院の御所への使いを命じた。
資成は御所に着くと大膳大夫だいぜんのたいふ信業のぶなりを呼んで清盛の伝言を、法皇に伝えてくれるように頼んだ。
「わが君の仰有おっしゃるるには、法皇側近の方々が、平家一門を滅ぼして天下を乱そうという計画をお持ちと聞きました。こちらとしても捨てては置かれませんから、一人一人召し捕らえ、いい様に処分するつもりでいますが、その点あらかじめご了承下さって、何卒ご妨害などしないで頂きたいのです」
信業もこの知らせにひどく、どぎまぎしながら、
「暫くお待ちを、唯今、法皇にお取次ぎいたしますから」
と言い置いてあたふたと、院の前にかけつけて来た。
「どうやら、鹿ヶ谷の一件を、清盛が嗅ぎつけたらしく」
信業の知らせに、日頃、沈着な院も、返す言葉がない。唯、唇をわなわな震わせて、
「一体如何どうしたものであろう、のう信業、どうしたらよかろう」
と、咄嗟とっさの分別もつかずに、まごまごしておられる。信業だって、良い思案の筈もなく、それでも頭の利く男なら、何とかこの場は取り繕って、玄関に待たせっきりの資成に色よい返事を送って一応帰してしまえばいいものを、普段、のんびりと、公卿達との交渉ばかりで、こういう緊急事態に直面した事がないから、一緒になって、
「如何いたしましょう、如何取り計らいましょう」
と、さっきから同じ事ばかりを繰り返している。
資成は、役目柄、どうもはっきりした態度をとれないらしい法皇の立場に、逸早く気づいたから、これで用事は済んだとばかり、さっさと清盛の所に帰って来ると、
「何か、ひどく慌てふためいている様子で、ろくすっぽ返事をくれません」と報告した。
「なる程、返事が出来ないわけだわい。行綱が申したことは、やはり真実であったか、やれやれ、あいつのおかげで、わしも生命拾いしたというわけか」
様子が判ってみれば、ぐずぐずしている間に、知らせが方々へ飛ぶかもしれない。万事、早いに限ると、清盛は、飛騨守影家ひだのかみかげいえ筑後守貞能ちくごのかみさだよしらに命じて、即座に、謀反を企てた者の逮捕を命じることにした。
清盛は、先ず、使いの者を、新大納言成親邸へ走らせ、
「ご相談があるので、是非お出で頂きたい」と言わせた。
成親は、まさか謀叛がばれたとは思わないから、
「どうせ、山門攻めは見合すようにとか、何とか法皇に意見しろというんだろうが、とにかく、山門の事は、法皇も、てんで聞き分けがないから、難しいにになあ」
呑気のんきな事を考えながら、車を走らせた。もちろん、これが最後とは思い知るわけもなく、いつもよりも、一段と美々しく着飾った行列でやって来たのは、虫の知らせであったろうか。
八条の屋敷近くまで来ると、甲冑かっちゅう物具もののぐをつけた兵士達が、満ち溢れて、どことなく緊迫した空気がただよっている。
成親も、思わず胸騒ぎがするのを感じたが、「まさか」と打ち消して、急いで牛車から降り立った。途端に、成親の囲りをぱらぱらっと、荒武者どもが取り巻いた。
「しばるのでございますか?」と言うと、
「まあいいだろう」
と答えたのは、誰あろう清盛入道である。
「かしこまりました」
と答える侍共は、成親が一言もいう隙も与えず、縁の上に、引きずりあげて、とある一間に押し込めてしまった。
そうまでされても成親は、事の意外さに、日頃の判断力の失って、唯、呆然ぼうぜんとするばかりである。
まもなく、陰謀の一味の面々、近江中将入道蓮浄、法勝寺執行俊寛僧都、山城守基兼、式部大輔雅綱、平判官康頼、宗判官信房、新判官資行らが、続々と捕らえられて、西八条に連行されて来た。
2023/11/02
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