~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅶ-Ⅲ』 ~ ~

== 現 代 語 訳『平 家 物 語 上』 ==

著 者:尾崎 士郎
発 行 所:株式会社 岩波書店
小 松 教 訓 (二)  ♪
「父上、お憤りは尤もの事と存じますが、成親卿の首をはねられる事はお取止めになった方がよろしゅうございます。とにかく、白河院の御時からの名家で、正二位大納言といおうご身分、加えて、院のご寵愛並々ならぬ人を殺すことは、どんなものかと思います。都の外へ追放すれば、それでよいではございませんか。昔から、 菅原道真すがわらのみちざね公、或は、源高明たかあき公といった人々が讒言ざんげんのために、無実の罪を着せられた例もあ、往々にして誤りはあるものでございます。刑の疑わしきをば軽んぜよ、功の疑わしきをば重んぜよといおう言葉もある程でございます。まして、お手元に現在、召し捕らえられている以上、逃げも隠れも出来ません、急ぎ処刑の必要はちっともない筈です」
いつもながらの重盛の能弁には、清盛も言葉をさし挟む余地もなく、苦虫をかみつぶしたような顔をしていた。
「私、かように、成親卿をかばうの、私が成親卿の妹を妻とし、又維盛が、卿の婿だからといった、縁戚関係があるから言うわけではないのです。その点よくよくお間違い下さらぬよう。私はひとえに、世のため、君のため、そして我が一門のためを思って申し上げているのです。かつて、少納言入道信西が二十五代絶えていた死刑を復活し、藤原仲成なかなりを殺したり、又、左大臣頼長よりなが の死骸を掘りおこしたりなどして評判を落した事を覚えておいででしょうが、昔からよく、「死罪を行えば海内に謀叛のともがら絶えず」と申します。平治の乱に、信西の死骸をわざわざ掘りおこし、首をはねて晒した事もありました。あれなどは、信西が自ら行った行為が、我が身に申しましょうか、とにかく恐ろしいことです。成親卿らは、気も弱い男ですし、それ程大胆な人でもなく、まして朝敵というわけではなし、いずれにしても、成親一人を死罪にしても、しなくても、たいしたことでありますまい。父上には一代の栄華を極められて、これ以上のお望みはないでしょうけれど、この上は、子孫代々いつまでも、一門が繁昌して欲しいと思います。とにかく、先祖の悪事が子孫に及ぶ事がります。善事を行えば、又必ず報われることもございます。何卒、もう一度お考えになって、今宵こよいの死刑は思い止まって下さ」
理路整然と、情には溺れず、あくまで大義名分の立場から説き起こしてくる重盛の正攻法には、いつでも清盛はかぶとを脱がずにはいられない。とうとう、成親の死罪だけは思い止まった。
重盛は、父を諫めて、中門から出て来たが、清盛の承諾を得たものの、まだ何かと不安であったから、侍達を集めると、
「たとえ清盛公のご命令だからといって、大納言を殺すような事はするな。清盛公は、気の短いお人だから、腹立ちまぎれに、かっとなっては、後でいつも後悔なさる。お前達も、間違った真似まねをして、あとで、この私にどのような目にあわされても、恨むでないぞ」
とじろりと侍達を見廻したので、一同、恐ろしさに震え上がった。重盛は、その中に、難波経遠、瀬尾康に二人を見つけると、ずかずかと側に寄り、
「わても、経遠、兼康、今朝方、成親卿にたいす振舞は余りにも礼儀知らずであったぞ、重盛の耳に入ることを考えてはいなかったのか、田舎武士いなかざむらいは致し方ないにものだのう」
と言ったので、二人とも、恐れ入ったまま返事も出来ずうなだれていた。
成親卿捕わるの知らせは、成親について来た侍達の足で逸早く、北のかたに住む中御門烏丸なかみかどからすまるの邸に知らされた。
下の方を始め、おつきの者達も、人目もはばからず泣き叫んだ。
「既に西八条から追手が出たと申します。少将殿始め、若君達も、全て捕らわれるという話でございますから、とにかく、急いでお姿をおかくしになった方が身の為でございます」
侍の言葉にも、北の方は、唯、よよと身を震わせて、泣き崩れるばかりである。
「こんな悲しい身の上になって、いつまでも安穏に生きのびるより、大納言様と同じく殺されてしまった方がいい。それにしても、今朝が今生最後のお別れだったとは、何としても悲しいものよ」
そのまま、泣き伏してしまうのである。そのうちに、追手の武士達が迫っているという情報がもたらされて、やはり捕まって恥知らずな悲しい目にあうよりもと、仕方なく、十の長女と八つの男の子とを連れ、どこというあてもなく、車に乗った。
といっても、どこかに落着かないわけにもいか、北山の雲林院うんりんいん近くの僧庵の一つに漸く身をかくまった。
送って来た侍達も、わが身のいとしさに、暇を告げて帰ってしまうと、残っているのは、頑是がんぜない子供ばかりである。
話し相手もないまま、自然想いは、大夫大納言の身の上にとんでゆく。
暮色も漸く迫って来た。庭のあたり見ながら、大納言のお命は今夜限りかと思えば、又新しい涙がつきるところを知らない。
いつもは、侍女、侍達がせわしく働いている屋敷の内も今は唯ひっそりとして、物は取り散らかされ、門を閉める者もいず、馬に草をやろうともしない。僅かばかりの北の方についていた留守居の者たちも、今は何をする気力もなく、唯、これからの不安に茫然ぼうぜんとするばかりである。
昨日までは、夜もまだ明やらぬ内から、車馬が立ち並び、邸の中は客人でにぎわって、毎日を遊び暮、世を世とも思わぬ豪勢な暮しっ振りで、近所の人も声を忍んで遠慮する程の家だった大納言家も、」たった一夜の内に、余りといえば余りの変り方である。
栄える者は必ず滅びる、楽しみ尽きて悲しみ来たる。この言葉を、まざまざとみせつけられた大納言の変わりようであった。
2023/11/05
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