~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅶ-Ⅲ』 ~ ~

== 現 代 語 訳『平 家 物 語 上』 ==

著 者:尾崎 士郎
発 行 所:株式会社 岩波書店
教 訓 (一)  ♪
陰謀荷担の者ほとんどすべてを捕らえ、これを幽閉した清盛は、まだそれでも気の済まないことが一つあった。言うまでもない、陰謀の本当の元兇というべき法皇を、目と鼻の先に野放しにしていることだった。
とにかく相手は法皇であって、西光や成親とはわけが違う、うかつに手の出せないことが、余計、彼を焦々いらいらさせていたのである。
やがて清盛は、赤地錦あかじにしき直垂ひたたれに、黒糸威くろいとおどししの腹巻、白金物しろかなもの打った胸板/rb>むないたを着け、愛用の小長刀/rb>こなぎなたをかいばさんだ物々しい装立/rb>いでたちで、側近の貞能を呼びつけた。
清盛の前に伺候した貞能も、木蘭地もくらんじの直垂、緋縅のよろいを着用している。今にも戦の始まりそうな、そんな二人の装立ちである。
「のう、貞能、つくづく思うに、過ぐる保元、平治の乱には、この清盛が、一命を投げうって朝廷のお味方をいたし、逆徒を平らげてまいったことは、そちもよく存じておろう。そのために、何度か失わんとしたこともあった。たとえ、誰が何と言おうと、この忠臣一門を七代まではお見捨てなさるまい思っていたわしが、うかつであったろうか? それも、成親、西光の如き賤しき奴らのいうなりになって、我が一門を滅ぼそうとなされる法皇のお気持ちは、何としても心外じゃ。この後にも、何日/rb>いつ何時/rb>なんどきそういったふらちな奴らの言葉に耳おを傾けになって、院宣をお下しになるか、わかったものではない。もしそうなって、当方が朝敵と呼ばれたあとでは、いかに悔やんでもこっちの負けだ。今暫く、世が静まり、不穏の気配のなくなるまで、法皇に鳥羽殿に移って頂くか、またはこの六波羅へお移り願うのがよいと思うのじゃよ。それに就いては、おそらく北面の武士の間に意義も起こり、矢を放つ者も出てこようと思う。侍共にも、一応、軍/rb>いくさの用意をさせておけ。とにかく、わしは、あの気の変わり易い法皇様へのご奉公だけはこいりごりいたした。さァ、馬に鞍おけ、鎧を出せ」
いつに変わらぬ気の短い清盛の命令で、邸内はてんやわんやの大騒ぎである。この混乱の真っ最中を、主馬判官盛国は、いち早く重盛の邸へ報告にかけつけた。
「一大事でございます。清盛様のお気が変わり大変な事になりました」
重盛はとっさに、成親のことと思い違えて、
「では、とうとう、成親卿は首をはねられたのか?」
「いえ、いえ、そういうことではございません。清盛公は鎧を召され、侍どももすべて物具/rb>もののぐの用意をいたし、唯今より、法住寺殿へ押しかけるご決意のようでございます。何でも、法皇様をしばらく鳥羽の北殿/rb>きたどのへお移し申すか、それとも六波羅へ来て頂こうというおつもりとのことでしたが、内心は、九州の方へでもお流し申そうというご計画に思われます」
「そんな恐ろしいことを、いかに父上でも」
と、一たん否定した重盛も、今朝方の清盛の興奮の様子では、そういうこともあるのかも知れないと思って、車をとばして西八条に駈けつけて来た。
西八条の邸内には、既に一門の重だった者たち十数人が、思い思いの鎧をつけて、ずらりと立ち並び、諸国の受領ずりょう衛府えふなどは、縁先からあふれて庭を埋めている。それぞれ、旗さしものを側近く引き寄せ、かぶとをしめて、馬の腹帯をかたくして、出陣の命令を今か今かと待ちわびているのであった。
重盛は、烏帽子に直衣なおしという平服姿で、さらさらと衣ずれの音をさせながら、終始、落着き払って、清盛の座所にやって来た。清盛の到着を聞いた時から、「あいつのことだから、又じゃらじゃらした平服姿で、わざとやって来るぞ、少しは意見してやらねば」
と思っていた清盛だったが、わが子とはいえ、一目いちもく おいている上に、その礼儀正しさと、慈悲深さは定評のある男であり、会ったとたん清盛は、自分の恰好が恥ずかしくなってきた。
急いで障子を立てると、彼は、慌てて腹巻の上から法衣をひっかけたが、胸板の金物が、ともすると着物の合わせ目から見えるのを、無理にひっぱって、しきりにえりをかき合わせていた。
2023/11/11
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