~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅶ-Ⅲ』 ~ ~

== 現 代 語 訳『平 家 物 語 上』 ==

著 者:尾崎 士郎
発 行 所:株式会社 岩波書店
教 訓 (二)  ♪
重盛は、弟宗盛の上座に着くと、黙って父の顔を見た。しばらく沈黙が続いていたが、清盛の方から先に口を切った。
「いろいろ調べてみると、成親の謀叛むほんは、ほんの出来心で、実は、すべてを計画し、宰領したのは法皇らしい。そこで、とにかく世の中が一応治まるまで、鳥羽の北殿か、またはこの六波羅に移って頂いていた方がよかろうと思うのじゃが、どうであろうかな?」
清盛は、重盛の顔色を伺いうかがいそれだけ言った。すると重盛の顔から血の気が退いたと思うと、彼ははらはらと、涙をこぼした。
如何どういたしたのじゃ、何か気にでも障ったのか?」
「父上、唯今のお言葉を承っておりますと、平家一門の運命もここに極まれりという感じです、とかく人間は、運のつかない時に悪いことを思い立つものです。それに父上のご様子は、どう見ても正気の沙汰とは思えないのです、天孫降臨以来この方、太政大臣ともあろうお人が甲冑かっちゅうをつけたということは、今まで聞いたがありませんし、どう考えても礼儀に背くことと思われます。更に父上、父上は出家の身ではなかったのですか、出家の身で甲冑をまとうのは、これ又破壊無慚むざんの罪、その上に儀礼智信の法にもそむこことになりましょう。子として父上に意見するのは、おこがましいことですが、心に残したことは、後々までしこりにおなって残ると申します。思い切って申し上げましょう世に四恩ありと申します、天地の恩、王国の恩、父母の恩、衆生の恩、その内で最も重いのが国王の恩だと言われます。まして、我が一門は、先祖にも例のない太政大臣の高位にのぼり、無能無才の私でさえ内大臣の位を頂いております。それだけではございません、国土の半分は一門の所領となり、荘園の権利はすべて一門の手中にあります。これが朝廷のおかげでなくて何でしょうか。この莫大ばくだいな恩義を忘れて、法皇に礼を失することは、天照大神、正八幡宮の神慮にもそむくことです、それに大体、法皇のお考えになりましたことも一理ないことではございません、とかくこの一門はその武功に目がくらんで、傍若無人の振舞をすることも何度かありました。とにかくこのたびは、ご運に恵まれて、陰謀露顕、その上、成親卿始め一味の面々もも捕らえられた上は、法皇がどのようなご計画をお持ちであろうと、恐れることはございません。適当の処分を行った上は、益々ご忠勤を励まれるがよろしゅうございます。そのうちには法皇も当方の誠心にお気づきになるに決まっております。君主である法皇と、臣下である父上とを並べ考えれば、当然、法皇にお味方せねばならぬのが私の立場、法住寺殿を守護し法皇をお守りするのが、並々ならぬ君恩へのせめてものご奉公と思います。幸い常日頃、私のために一身を捨てようという部下もあり、彼らを率いて法住寺殿に馳せ参ずることに「なりますれば、何いっても容易ならざる大事になりましょう。君に忠を捧げんと思えば、山よりも高き父の恩を裏切ことになり、不幸の罪を逃れんと思えば、不忠の罪を冒すことになり、私の進退もここに極まった感があります。唯、こうなった上は、むしろ、いさぎよく重盛のくびをおはね下さい。法皇の御身を守ることも許されず、まして攻めるなどとは思いもよらないこの私です、生きていては唯、板挟みの責苦にあうばかりです。それにしても、我が一門は、あまりに短時日の内に、この世の栄華富貴を極めすぎたようです、この家には、高禄、高位が重なり合っております、一年に二度実のなる木は、その根が必ず傷むという言い伝えがあります。平家の御運も、そろそろ末になったのではないかと案じている次第でございます。かような末世に生まれ合わせた私の運命を、悲しく思います」
情理を尽くし、誠心誠意かきくどく重盛の心の内を推し量って、座にあるすべての人々は、みんな涙に暮れてしまった。
こうなっては、いつのの通りの横車も押すことの出来ない清盛である。諸将の手前もあるし、一門の人望の中心である重盛を相手では、どうにもできない。この機会こそ、院政打破の絶好の好機と思っていただけに、清盛は内心がっかりしてしまった。
「まァ。まァ。重盛、落着きなさい。おれだって、君恩の並々ならぬ事ぐらいは知っている・。しかし、後白河法皇はこれまでにも、何度かそういう噂の渦中に立った方でもあり、まや、いつ、どこかの悪党どもにそそのかされて、つまらぬことでもお考えなされぬでもないと思ったまでのことじゃよ」
「これは、ほんのたとえでございます。いかなる事態が出来しゅったいいたしましても、法皇を何とかなされるなどとは、以ての外のお考えと思います、それは父上、余りに思いあがった、ご思案としか思えませぬ」
重盛は、それだけはっきり清盛に言うと、ついと立って、中門のあたりにたむろしている侍達を呼び寄せた。
「唯今、重盛が、入道殿にご意見申し上げたことを、お前達も聞いたであろうか、今朝も実はこういう事態が起ころうかと内々心配していたし、ずっと留まっていようかとも思ったが、余り騒がしいので、一先ず帰ったのじゃ。さて皆の者、清盛公について、、御所攻めのお供に加わるのは、お前らの勝手じゃが、この重盛の頸がはねられたのを、しかと見届けた上で出陣いたせ、わかったな、では帰るといたそう」
来る時と同じ静かな行列は、西八条の邸を出て行った。
2023/11/13
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