~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅶ-Ⅲ』 ~ ~

== 現 代 語 訳『平 家 物 語 上』 ==

著 者:尾崎 士郎
発 行 所:株式会社 岩波書店
新大納言流罪  ♪
六月二日。その日は新大納言成親流罪の日である。都をわれる日なので、特に許されて、客間で食事を饗せtられた。さすがに万感胸に迫ってか、成親はろくろくはしもとらなかった。するうちに早くも迎えの車がやって来て、早く早くとせきたてる。成親は後ろ髪を引かれる想いで車に乗った。
「もう一度だけ、小松殿にお逢いしたいのだが」と言ってみたが、許されるわけはなく、まわりはものもにしい武装兵ばかりがびっしりと取り囲み、一人の縁者も、家来の姿もない。
「たとえ、重罪で遠国に流されるにしても、一人の家来も来ないとは何と心細いことか」
成親が、車の中で、そっとつぶやくのを耳にして、守護の家来も気の毒に思うのであった。
朱雀大路すざくおおじを南に下ると、やがて内裏が見えて来た。成親は車の中からそよながら別れを告げていたが、大納言流罪の知らせに、集まっていた雑色ぞうしき牛飼達は、かつてあれほどの権勢を誇った大納言が、今は一人淋しく都を去って行く様子に涙を流さぬ者はいなかった。まして、都に残る北の方、幼い子供達の行末を考えると、余りの痛わしさに、顔をそむけてしまう者もあった。
やがて車は鳥羽殿を過ぎた。法皇が鳥羽殿に行幸の際は必ず供奉ぐぶのうちに入っていた成親であった。それが、余りにも激しい身の上の変化である。華やかなりし時代、成親の別荘であった洲浜殿すはまどの
「これから、どこへ行くのじゃ、どうせ殺されるものならば、都には余り遠くないこのあたりで殺して欲しいものを」
大納言の気持もさこそとうなずかれても、命令のない者を勝手に殺すわけにはゆかない。やがて成親は警護の一人難波次郎経遠つねとおを呼び寄せ、
「もしこのあたりに、わしの身内の者か、大納言家に関りのある者がおりましたら。探して来て貰いたいのです。舟に乗る前に言っておきたいことがあるので」
と言って頼んだ。
経遠があたりを走り廻って聞き歩いたが、名乗り出る者は一人もいない。皆は、後のたたりを恐れて近寄らないのである。これを聞いて成親はひどくがっかりしたらしい。
「あの当時は、私についていた者は一、二千人もあったろうか? いやそれではきかなかったかも知れない。だのに、今となっては、よそながらでも、私の姿を見送ってくれる者もいないのだ」
と泣く姿には、経遠始め、物に動ぜぬ荒武者までが、ついもらい泣きをしてしまうほどであった。
成親の乗った船は、普通の屋形船だったが、身に添う者は唯涙ばかり、荒々しい兵士たちに囲まれて海上を渡る成親の目には、熊野詣での華やかなりし航海の想い出が、ありありと見えてくるのである。
大物だいもつの浦に着いた成親一行に、京都からの使いが来たのが、六月三日である。
死罪を一等免ぜられて、備前びぜん児島こじまへ流罪という知らせであった。同時に、重盛から成親宛の親書があって、
「何とか、もう少し都に近い山里にもと奔走したのですが、どうも残念な結果になってしまい、申しわけない次第です。しかしお命だけは、確かにお預かりしましたから、それだけを心頼みでいて下さい」
という便りで、同じく難波経遠にも、くれぐれも待遇に注意するようにという伝言があった。更に、身のまわりのこまごました仕度までも、何くれとなく気を配ってくれたのであった。
いよいよ配所が決まってみると、さすがに一縷の望みも絶たれたという感じで、成親は今更に法皇始め都に残してきた妻子のことがなつかしく、二度と再び生きて逢うことも出来まいと思うだけに、その想いは切々と心に沁みとおるのであった。
といっていくら泣いてもわめいても、幽囚の身は如何いかんともしがたく、やがて、大物の浦から何日か船旅をつづけて、備前の児島に着いたのである。
小さい島はどこでも同じようであるが、後は山、前は海、いその松風、波の音、捕らわれ人の心を慰めるには、余りにもわびしい寒々とした景色であった。
2023/11/15
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