~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅶ-Ⅲ』 ~ ~

== 現 代 語 訳『平 家 物 語 上』 ==

著 者:尾崎 士郎
発 行 所:株式会社 岩波書店
大納言死去  ♪
やがて、法勝寺執行しゅぎょ俊寛、丹波少将成経、平判官康頼の三人は、清盛の命令で薩摩潟さつまがたrt>鬼界ヶ島きかいがしまに流されることになった。
この鬼界ヶ島とは、都を遠く離れた孤島であり、便船もろくろく通わないという離れ小島である。
住民は、土着の土民が居ることは居るが、体は毛むくじゃらで、色は真黒く、烏帽子えぼし をつけている男もいないし、女は髪も下げていない。言葉はてんで通じないという心細さである。
田を耕すすべんも知らず、食物は専ら魚鳥を常食としている。かいこなど飼うことも知らないから、身にまとっている者はほとんどないという、まったく原始人そのままの生活が続けられていた。島の中に高い山があり、年中火を噴いて、あたりは硫黄が満ちみちていたので硫黄ヶ島とも呼ばれる。
雷がしょっちゅう鳴って雨もよく降る。とにかく、およそ、なれない人間の住み得るようなところではなく、ここに流されることは、いわば、自然に死を与えるのと同じ結果であった。
新大納言成親は、そのうちには、平家の追窮も手もゆるかも知れないと、やや期待していたものの、成経が、今、鬼界ヶ島に流されると聞いて、もはやこれまでと思い切った。
出家の志を申し出て、法皇からの許しも頂いた。長年着なれた着衣と引かえに、黒染めの衣に着替えた時は、さすがに感無量の心持であった。
成親の奥方は、その頃、北山雲林院きたやまうんりんいんしの近くに忍び暮しを続けていた。唯でさえ住み慣れぬ場所はいろいろと心苦労の多いところへ、世を忍ぶひとしおで、その日その日をやっとの思いで過ごしている有様であった。昔は、召使も家来も多く仕えていたけれど、平家に、睨まれて以来、後難を恐れてか訪ねて来る者もなかったが、唯、一人源左衛門尉信俊げんざえもんのじょうのぶとしだけは、昔と変わりなく、時々訪ねては、何かと面倒を見、慰めていってくれるのであった。ある日、奥方は信俊に、
「何でも、殿は一時は備前の児島といかにいられるときいたが、近頃は有木の別所におられるという話です。何とかして今一度、お便りを差し上げ、できたらあちらの様子も知りたいと思うのだけれど、どうにかならないものだろうか?」
と相談を持ちかけた。
「それはよい考えでございます。是非私がお使いに参りたいと存じます」
「だが、有木の別所までは、かなりの道のりだそうな、どんな危険があるかも知れぬのに」
「何を仰有おっしゃいます、幼少から殿にはお目をかけて頂いた私、未だそのお声がはっきり耳に残っております。ご流罪の時にもお供を願い出て、お許しが出なかったのがなによりの心残りでおりました。いかなる目にあいましても、きっと殿様にお目にかかって参ります。是非お文を頂戴いたしとうございます」
うそいつわりのない真心をおもてにみせて、涙ながらに言う信俊の言葉に、奥方も一方ならず喜んだ。
奥方始め、若君、姫君の文を懐にして信俊は、はるばる有木の別所を訪れて来たのであった。
難波次郎経遠も、信俊の志に感じて直ぐに成親の所に案内した。
成親は、丁度今しも、都のことなぞ思い出しつつ、側の者に、いろいろ想い出話をしていたところだったが、都から信俊が訪ねて参りました、という知らせに、「夢であろうか」と疑いながら、急いで部屋の内へ招じ入れた。
信俊が一歩足を踏み入れると、先ず粗末な部屋の作りが目に入った。同時に、昔に変わる黒染め姿の成親を見出した時は、いつか目の先がぼうっとかすんで、成親の姿もはっきり目に映らぬほどであった。漸く涙をおさあめると、信俊は奥方からの心のこもった言伝てをこまごまと伝え、ふところから、命にも換えてと大事に持って来た手紙を差し上げた。
さすがに懐かしい奥方の筆跡を手にすると、成親の手はぶるぶると震るばかりで「、一向に読み出すことが出来ない。ようように手紙を開いても、すぐに涙でかき曇って、書いてある字もはっきりと見えないのである。
「子供達が、朝晩、余りに貴方の事をお慕いするので、私も身を切られるように辛く」
などという文句が、ところどころに読みとれるけれど、こうやって目のあたりに懐かしい水茎みずくさのあとを見ると、そお恋しさ、悲しさはつのるばかりで、主従たがいに涙にむせんで言葉を交すことも出来なかった。
四、五日経った時、信俊は、
「お傍にいて、殿のご最後をお守りしとお思います」とくり返し経遠に頼んだが、聞き入れられなかった。成親も、半ば心頼みにしていたのだが、今はもう諦めていた。
「早く帰った方がよかろう、私も近い内に殺されるらしいが、死んだ後は私の後世でも弔っておくれ。これは奥方に渡してやってくれ、くれぐれも面倒を見てやってくれよ」
信俊が、「それでは又伺いまする」といって出ようとすると、成親は、、
「しばらく、しばらく、もう一度戻って顔を見せてくれ」
と呼び返し、又暫くして信俊が腰をかげかけると、何のかのと言っては、呼び戻すのであった。
信俊も後髪は引かれる想いだが、といって、いおつまでもこんな事をくり返してもいられず、泣くなく後を振り返り振り返り、別れを告げた。
奥方は、成親の手紙の中に巻き込まれていた黒髪の一房を見て、とてもたまらず泣き伏してしまった。若君、姫君も母に取りすがって、声を立てて泣くのであった。
八月十九日、大納言の死罪が決まった。備前、備中の境にある吉備きびの山中が、大納言終焉しゅうえんの場所と言われる。
成親の最後の様子はいろいろ伝えられていて、始め毒殺を計ったが失敗し、遂に、二丈のがけの上から突き落とし、下に刺股ひし(刃物に柄をつけたもの)を立ててこれで体を貫いて死んだといわれる。とにかく無慚むざんな殺し方であったらしい。
夫の死を聞いた奥方は、今は生きていても甲斐はないと、菩提院ぼだいいんという寺で、出家し、成親の冥福を祈って暮らすことになった。彼女は山城守敦方やましろのかみあつかたの娘で後白河院の寵愛も一きわ深かったほど美しい人で、後白河院がお気に入りの成親に下ったものであった。
華やかな夢も今は昔の物語、尼姿になった奥方と共に、幼い子供達も、花を折り水を汲んで、ひたすら父の後世を弔うのであった。
2023/11/18
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