~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅶ-Ⅲ』 ~ ~

== 現 代 語 訳『平 家 物 語 上』 ==

著 者:尾崎 士郎
発 行 所:株式会社 岩波書店
徳大寺の沙汰  ♪
そもそも成親卿が平家滅亡の計りごとを練るようになったのは、いつかの人事異動が基であったのだが、あの時に、やはり、右大将を平宗盛に横取りされて、がっかりして家に引き籠ってしまった人がある。
徳大寺大納言実定じつていである。その後も、平家専横の世の中にいよいよ愛想をつかした実定は、出家の志を立てた。
ある月の良い晩であった。実定は、南面の御格子みこうしをあげて月を眺めながら、行末の事など思いにふけっていると、藤大夫重兼とうのだいふしげかねという家来が参上して来た。
「何じゃ、今時分?」
「いえ、唯、余りに月がよろしいので、何となくご機嫌伺いに参りました」
「それは丁度よい、わしも話相手がないものかと思っていたところだった」
実定は重兼を相手に、四方山とうのだいふしげかねの世間話に打ち興じていたが、その内いつしうか話題は平家一門の話にもふれていった。
「全く近頃、平家の勢いは恐ろしいくらいじゃ、重盛、宗盛と息子が揃って左右の大将、後には、三男知盛、孫の維盛もおることだし、平家以外の家の者では、大将になる望みはなさそうじゃ。わしも、いつかはと思っていたが、この分では、到底、望んでも無駄だと覚ったのじゃ。いっそ出家でもしようかと思ってのう」
「それはとんでもない、早まったお考えかと思います。もし殿がご出家遊ばすような事にでもなったら、家内中が途方に暮れてしまいます。それよりも、私一寸した名案があるのでございます。それは他でもない、安芸あき厳島いつくしまへご祈願にお出でになるのです。あすこは平家の人々がうやまあがめるお社がございます。何もおかしいことはありません、
あすこは内侍ないしと申す舞姫がおります。彼女らはきっと珍しがっていろいろ接待する筈でございます、その時、何をお祈りにいらしたのですか? と聞くに違いありませぬ、ありのまま仰有おっしゃるがよろしゅうございます。ご帰京の際は、重だった内侍を連れて京へお帰り下さい。彼女らは帰りにきっと西八条の清盛公のお邸にご挨拶に行きます。清盛公は、上京の目的を内侍にお尋ねになるに決まっております、すなわち、殿のほ祈願のことも、清盛公の耳に入ります、平家の尊崇する社に祈願したと聞けば、喜ぶに決まったいます、何か良いあんばいに事が運ぶかも知れません」
熱心に耳を傾けていた実定は手を叩いて喜んだ。
「全くだ、確かに妙案かも知れぬ。早速参詣の準備をいたせ」
さて、安芸の厳島に着くと、そこには内侍と呼ばれる美しい舞姫が居て、日夜参詣人をもてなす習わしがあった。
「この社に、平家以外の方がご参詣とは珍しいと」
と言って、舞楽ぶがく神楽かぐら琵琶びわ、琴と、ある限りのもてなしをして、実定を慰めた。
「それにしても珍しい、一体何をご祈願にいらいたのですか?」
案の定、内侍が尋ねたので、実定はかねて定めた通り、
「日頃望みの大将の位を、他人に越されてしまったので、その祈願達成のため」
と答えた。
さて七日の参籠が済むと、重立った内侍十数人は、船を仕立てて都まで見送って来た。
実定は、邸に連れて来て丁重にもてなし、土産まで与えて帰した。
「折角ここまで来たのだから」
と内侍達は西八条に清盛を訪ねた。突然の内侍達の訪問に、清盛は驚いてわけを尋ねた。
「徳大寺大納言のご参詣の帰途、名残惜しさにここまでついて来てしまいましたので」
「それは珍しい、何で又あの男が厳島に参詣に行ったのじゃろう」
「何でも、大将にご昇進のためのご祈願とか伺いましたが」
「何? そのためにわざわざ厳島まで下向いたしたと、それは何と奇特なお人であろう。この京都にも由緒深い神社仏閣も多いのに、わざわざ平家一門の帰依きえする厳島に参詣するとは、見上げた志じゃ」
清盛はすっかり上機嫌になった。間もなく重盛が左大将をやめ、宗盛をこえて実定に左大将の辞令が下りた。まんまと、主従の計画が功を奏したのである。それにしても成親も早まったことをしたものである。謀叛など起さずにもっと賢明なやり方で、自分の身を守るべきであったのに惜しいことをしたものである。
2023/11/19
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