同じ頃、信濃善光寺が火事にあった。この寺の本尊である如来は、昔、中天竺舎衛国に、五種の悪疫が流行した時、月蓋長者がつがいちょうじゃが竜宮城から閻浮檀金えんぶだごんを取り寄せて、釈尊、目蓮長者もくれんちょうじゃと三者が心を合せて鋳造した、阿弥陀如来の霊像といわれた。それ仏滅の後五百余年、天竺に留まり、後百済くだらに移り、千年を経て、欽明きんめい帝の御代に日本に渡り、摂津国難波の浦の底深く金色の光を放っていた。
たまたま、信濃国の住人に本多善光よしみつという男がいて、都に上り、如来のありかを知って、これを信濃国水内みずうち
の郡に移した。 爾来、五百八十余年程経つが、火災のあったのは始めてのことで、霊寺、霊山が次々に滅びてゆくのは、さしもの平家の世も末になる前ぶれだろうと噂された。 |