~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅶ-Ⅲ』 ~ ~

== 現 代 語 訳『平 家 物 語 上』 ==

著 者:尾崎 士郎
発 行 所:株式会社 岩波書店
ゆるし ぶみ (一)   ♪
治承二年の正月がやって来た。宮中の行事はすべて例年の如く行われ、四日には、高倉帝が院の御所にお出でになり、新年のお喜びを申し上げた。
こうして表面は、いつもながらの目出度い正月の祝賀風景が繰りひろげれらていたが、後白河法皇の心中は、内心穏やかならぬものがあった。成親はじめ側近の誰彼が、殺されたり流されたりしたのは、つい去年の夏のことである。その生々しい光景はまだ、昨日の出来事のように、まざまざと心によみがってくる。
その事を思い出すごとに、法皇の胸には、清盛に対する、いや平家に対する憎悪の念が、いやましにひどくなってゆくのである。諸事万端、物憂く、政事まつりごともつい投げやり勝ちな日が続いていた。
一方、清盛の方でも、多田蔵人ただのくらんど幸綱の密告を受けてからというもの、ぬかりなく法皇の周囲に対する監視を怠らなかった。
表面だけ鷹揚おうように構えてはいるが、どうして、どうして、清盛の鋭く光る目は、院の御所に向かってひときわきびしい光を見せるのであった。
正月七日、突如、東方の空に彗星すいせいが現れ、十八日には、光が一段と増した。
清盛の娘で、当時中宮であった建礼門院は、病床に伏していたが、秘法、妙薬の甲斐もなく、病状は一向はかばかしくいなかった。国中あげて、病気回復を祈っていたが、これが、やっと妊娠のためだったとわかったのである。時に天皇十八歳、中宮は二十二歳、もちろん初産である。平家一門の喜びは大変だった。
「これで、皇子誕生となれば万々歳じゃ」
とまるで既に皇子が誕生でもしたかのように、勇み立っていたし、世間でも、
「勢いに乗っている平家のことじゃ、皇子誕生も間違いなかろう」
というのが、一般の噂であった。
ご懐妊の事実がはっきりしてくると、今度は前以上に、国の全力を挙げて皇子誕生の祈禱が行われることになった。
ありたけの高僧貴僧が呼び集められ、秘法の限りを尽くすことになった。星を祭り、仏や菩薩ぼさつには、皇子誕生のことばかりを祈願した。六月一日は、岩田帯の儀式があった。
仁和寺じんなじ御室みむろ守覚しゅかく法親王が参内、孔雀経くじゃくきょうくの法で祈り、天台座主覚快かくかい法親王も揃って祈禱した。これは変成男子へんじょうなんしの法という秘法で、胎内の女児を男児に変成するものである。
月が進むに従い、中宮の苦しみは、傍の見る目も痛わしかった。一度笑えば百媚ひゃくび生ずといわれた美貌も、すっかりやつれ果てて、長い黒髪をがっくり横たえて、頭を上げるのもやっとというその姿は、まさに、梨花一枝りかいっし春雨はるさめぶ、という風情であった。
ところで悪いことには悪いことが重なるもので、唯でさえ衰弱している中宮に、またしてもものがとりついたのだる。童子に物の怪を乗り移らせて占ってみると、多くの生霊、死霊が、取りついていることが」わかった。とりわけその内でも執念深いのは、去る保元の乱に讃岐に流された崇徳院すとくいんの霊、同じく首謀者、左大臣頼長、新しい所では、新大納言成親、西光、それに鬼海ヶ島の流人の生霊などであった。
清盛は即座に沙汰を下すと、崇徳院には追号を捧げ、崇徳天皇とし、頼長には、贈官贈位で太政大臣の贈位をし、勅使として少内記しょうないき惟基これもとが派遣された。
2023/11/27
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