~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅶ-Ⅲ』 ~ ~

== 現 代 語 訳『平 家 物 語 上』 ==

著 者:尾崎 士郎
発 行 所:株式会社 岩波書店
らい ごう  ♪
白河院がまだご在位の時、関白藤原師実もろざねの娘、賢子けんしの中宮をひどく寵愛されていた。かねがね、この御腹に、一人息子が欲しいと望んでいられたが、当時、その道では聞こえた三井寺の頼豪阿闍梨あじゃりを呼び出した。
「賢子の中宮の御腹に皇子誕生を祈禱してくれまいか、願いのかなった暁は、恩賞は望み次第じゃ」
「お安いご用でござります」
頼豪は三井寺の帰ると、百日の間、心を込めて祈り続けた。やがて百日の内に、中宮にご懐妊の微候が現れ、承保しょうほう元年十二月、目出度く皇子が誕生した。
主上の喜びは殊のほかで、早速頼豪を招いた。
「そなたのお陰で、皇子が生まれた。約束通り恩賞をとらそう、何なりと望みの物を申せ」
「ほかに望みはございませんが、山門にある戒壇かいだんを三井寺にも建立こんりゅうすることをお許し頂ければ」
「何? 戒壇と? それだけはもってのほかのことじゃ、高位高官は望みのままとらそうと思っていたが、そのことばかりは許されぬ。皇子ご誕生を願ったのも、やはて朕のあとをついで即位し、世の中が今迄通り平和にという思惑からじゃ。それをそなたのいうように、三井寺に戒壇を建立いたさば、山門の憤りは火を見るより明らかである。やがては、両問の合戦に及び、世は騒然として、天台の」仏法も滅びるようなことがあっては困るのじゃ」
といって遂に許されなかった。
頼豪は口惜しがって、餓死をする覚悟で、三井寺で断食を始めた。これには主上も驚かれて、かねて頼豪とは師弟関係を結んでいた、大江匡房おおえのまさふさを呼んで、頼豪を説得するように頼んだ。
匡房が頼豪に断食の場所に行ってみると、うす汚れた持仏堂の中から、頼豪の陰に籠った恐ろしい声が聞こえて来た。
「天子の言葉には戯れはないと聞いておった。一度び口に出した言葉は二度と戻らぬことをご存じか? それほど望みが叶えられないというのなら、わしの祈りも今では無駄じゃ。わしが祈って生まれ出た皇子なら、もう一度、連れ戻すのもわしの勝手、皇子は頂戴して、私も魔道にいくつもりじゃから、帰ってその様にお伝え申せ」
と言ったまま、とうとう逢おうとしなかった。頼豪は、予定通り餓死したので、主上はどうなることかと気をもんでいるうちに皇子は病の床に就いてしまった。お祈りも様々にさせてみたが、いつでも、皇子の枕元に白髪の老人が錫杖しゃくじょうを持ってたたずんでいて、決して退散しない。そのうちに、とうとう亡くなってしまった。
主上の嘆きは、またひとしおであったから、今度は後に山門の座主になった良真りょうしん僧都を呼び出した。
「折角授かった皇子を、頼豪のために失ってしまったが、何かよい思案はないか?」
「そもそも三井寺にお頼みになったのがまずうございました。始めから山門にお頼み下されば、こんな事にもなりませんでしたのに、冷泉れいぜい院ご誕生の時も、山門の慈慧じえ大僧正に九条右丞相くじょうのうじょうしょうがお頼みなされた先例もございます」
と言って比叡山に帰り山王大師に百日祈願したところが、再びご懐妊、お生まれになったのが堀河天皇である。
このように、怨霊おんりょうというやつは昔からたちの悪いもので、今度の門院の御産に大赦が行われたけれども、俊寛一人が残されたことは何としても後味が悪い気もする。
同じ年の十二月八日、皇子は東宮に立ち、東宮輔佐は小松内大臣重盛、東宮大夫は池中納言頼盛が任ぜられた。
2023/12/01
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