~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅶ-Ⅲ』 ~ ~

== 現 代 語 訳『平 家 物 語 上』 ==

著 者:尾崎 士郎
発 行 所:株式会社 岩波書店
医 師 問 答  ♪
その頃、丁度熊野に参詣した重盛は、一晩中、何事かを祈願していた。日頃から、平家の行末に、暗い予感を感じている重盛にとって、それは一身をかけた重大な祈りであった。
父の清盛入道は、何かと悪逆無道を働き、法皇の心を悩まし、息子としては、精一杯諫言いたしておりますが、我が身が至らぬため思うようにまいりません。この様子では父清盛一代の栄華さえ案じられる状態でございます。ましてや、子孫が相次いで繁栄などは以ての外の事かと思われます。ここに至って私の思いますには、まなじ高位高官に列せられ、世の浮沈をなめるよりは名誉を捨て、官を退き、この世の栄誉を捨てて、来世の極楽往生を願った方がどんなに良いかとも思うのですが、凡夫の悲しさ、中々実行出来ません。願わくは、南無権現、金剛童子、清盛入道の悪心を柔らげ、子孫繁栄、朝廷にお仕えしていついつまでも天下に平和をもたらしめて下さい。もし又それがかなえられず、清盛入道一代の栄華に終わるならば、この重盛の命をお取り上げになって、来世の苦輪くりんをお助け下さい」
重盛が一心に祈っている最中、灯籠の火のようなものが、重盛の身から発したかと思うとぱっと消え失せた。見ていた者は多かったが、気味の悪さに誰も口には出さなかった。
参詣の帰りに岩田川を渡った時、嫡子維盛始め公達きんだちが、折柄、夏の事で暑い盛りでもあったので、涼みがてら水遊びなどをした。彼らは一様に浄衣の下に薄紫色の衣を着けていたが、水に濡れて、丁度喪服の色に見えた。
筑後守ちくごのかみ貞能さだよしが、これを見て、
「何でまた、喪服めいた浄衣などをお召しなのですか? 縁起でもない、お召し替えなされませ」
と言うと、重盛軽く制して、
「私の願いが聞き届けられたのだろう、。着替えるには及ばぬ」
と言って、熊野にお礼の奉幣使を送った。人々は何のことかよくわからずに、おかしなことだと思っていた。
熊野から帰ると間もなく、重盛は病の床に就く身となった。もとより覚悟の前であるから、治療もされず祈禱も許さなかった。
その頃、宋から、名医といわれる医師がやって来て京都に滞在していた。福原に居た清盛は、使者を遣わして、この名医の診察を受けるようにとすすめさせた。
重盛は使いの越中守えっちゅうのかみ盛俊もりとしを病室に招き、蒲団ふとんの上に起き直って、
「わざわざ、医療のためのお使い有難く思っておりますと、お伝えしてくれ。それから、もう一ついうことがある。それは醍醐天皇のことだ。醍醐天皇は、あれほどの賢主であったけれども、異国の人相見を都にお引き入れになったのは、大変お心得違いだったと言われている。まして、重盛ごとき凡人が、異国の医師を自分の屋敷の内に入れることは一門の恥ではなかろうか? 漢の高祖が淮南わいなん鯨布げいふを討った時、流れ矢で傷を受けた后呂太后きさきりょたいこうが医師を迎えて診察させると、医師は五十斤の金を下されば癒してみせますと言った。高祖はその時何と言ったか? 戦場で傷を受けるのは、命運のつきたしるしじゃ。命は即ち天にあり、いかな名医でも治療は出来ぬ、と言って、金を惜しむように受取られては残念じゃ、と言って金五十斤を医師に与えて、診療を断わった。
この話は未だに私の耳に残り肝に銘じている。重盛も、天運の力で高位高官に列しておる。もし私の運命尽きずば、療治を加えずとも助かることは確実である。かの釈迦仏さえ、跋提河ばつだいかのあたりで入滅したのも、これすべて定められた運命が、医療ではどうにもならぬことを身をもって示されたのだ。もしどんな病でも癒るものならば、かの名医耆婆ぎばがついていて何故、釈尊が入滅することがあったろ。又、もし宋国の医師に依って生命が長らえたとあっては、我が国医術の面目も丸つぶれになるし、効き目がなければ、面謁して意味はないであろう。更に、我が国の大臣の一人として、異国の客人に診療を乞うとは国の恥でもある。この重盛、死んでも国の恥を思う心は失わないつもりであると、父上にお伝えしてくれ」
盛俊は、清盛に事の次第を言上した。すると清盛も重盛の志には感じ入ったらしく、
「これほどに国の恥を思う大臣は、未だ前例を知らぬのう。まして末世末代にあるべきはずはなし、この日本には不相応な立派な大臣じゃから、今度はきっと死なれるにちがいな」
と言って急ぎ都にのぼった。
重盛は、七月二十八日、出家した。法名は浄蓮じょうれん、やがて八月一日、ついに不帰の客となった。享年四十三歳。まだまだ働き盛りの年頃である。
「入道相国が無茶な事をしても、この人のおかげ、何とか無事におさまって来たのに、これから先どうなることやら」
京の人たちは、みんな、ひそひそとつぶやき合ったという。
都の上も下も、一様に重盛の逝去を悲しんでいる中で、ひとりほそく笑んでいたのは、前右大臣大将宗盛の身内の人たちである。
「いよいよ、うちの殿様の天下じゃ」
と彼らは内心の喜びを隠せなかった。
2023/12/09
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