安元の頃、重盛は、九州から妙典という船頭を呼び寄せ、人払いして親しく目通りをそたことがある
「お前の正直を信頼して頼みがある。ここに大枚三千五百両の金がある。五百両は育王山いくおうざんの僧に寄付し、二千両を宋の皇帝にお渡しして、この重盛の後世を弔って貰うよう、お頼みして来てくれ」
妙典は、忠実に重盛の言葉を守り、宋に渡ると、育王山の方丈、仏照禅師徳光に逢い、重盛の言葉を伝えた。禅師は、はるばる万里の波濤を越えてやって来た奇特な信仰心に感激し、二千両を皇帝に奉り、事の子細を奏上すると、皇帝も喜んで、五百町の田地を育王山に寄進した。今日でも、育王山では未だに、日本の大臣、平重盛の後世を弔っているという。 |