~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅶ-Ⅲ』 ~ ~

== 現 代 語 訳『平 家 物 語 上』 ==

著 者:尾崎 士郎
発 行 所:株式会社 岩波書店
ゆき たか の 沙 汰  ♪
関白基房の家来、江大夫ごうたいふ 判官遠成はんがんとおなりという者がいた。日頃から平家には反感を抱いていたが、六波羅からの追手が迫ると聞き、子息江左衛門尉ごうさえもんのじょう家成いえなりといっしょに揃って家を出た。家を出てみたが、結局は行く目当てもなく頼る人もない二人は、稲荷山いなりやまにのぼって相談の結果、住みなれたわが家で死のうと、再び川原坂の宿所にとって返した。
六波羅からは、源大夫判官李貞、摂津判官盛澄らが、武装兵三百騎を引連れて押し寄せて来た。江大夫は縁に立ちはだかると、群がる敵をはったと睨みつけ、
「各々方、この場の様子、とくと六波羅に報告いたせ」
と言い放つと、矢庭に館に火を放ち、親子揃って従容として腹かき切ったのであった。
多くの犠牲者を出し、四十余人もの人々が憂目を見た今回の事件も、発端はごく些細な出来事で、関白になった二位中将にいのちゅうじょう基通もとみちと、前関白さきのかんぱく基房もとふさの子師家もろいえの中納言争いが原因であった。基房が事件に関りのあるのは当然として、他の人々は、全く無実な意味不明の免官であり、追放であった。一種の清盛の気まぐれがさせたいたずらにしても、これは、あまりに性が悪すぎた。いよいよ物情騒然たる世の中である。
「清盛入道の心は天魔に魅入られたのだろう」
「これからどんなことが起こることかのう?」
京の上下は恐れおののいていたのである。
ところでここに前左少弁さきのさしょうべん行隆ゆきたかという男があった。故中山中納言なかやまのちゅうなごん顕時あきときの長男で、二条院ご在世の折には、それでも結構羽振りをきかしたものだったが、この所十余年ばかり、失業状態が続いて生活は苦しい一方であった。
この世間から全く忘れ去られかに見えた男のところへ、ある日清盛から、「用事があるから、是非来るように」という使いがあった。行隆の驚きは、むしろ恐怖に近かった。今まで清盛に呼び出された人のうち無事で帰って来た者はなかったのだから無理はない。しかし、彼は世間から遠ざかっていた十余年間は、陰謀や権力争いとは、まるで無縁の生活をしていた。
「はてさて、わからぬのう、このわしが十余年間何もしなかったことは確かじゃが、ひょっとすると、人の讒言ざんげんということもあるからのう」
考えれば考えるほど、突然の清盛の呼び出しは彼にとって謎である。北の方らも、
「どんな目にお逢いになりますことやら」
っと袖を押さえて、行くことを止める始末だった。しかし清盛の呼出しが二度三度と重なってきては断り切れなかった。行隆はやむんく決心すると、人から車を借りて西八条に赴いた。
不安な想いで、西八条の門をくぐった行隆は、思いもかけず丁重な扱いを受け、待つ間もなく清盛にじきじきの目通りを許された。
「お父君には、清盛もいろいろ大事、小事を相談いたしたものじゃったが、そなたのことも決して忘れていたわけではなく、長年、官を離れていることも気になっておったが、法皇のご政務中は中々そうもいかなかったのだ。しかし、今は遠慮は不要じゃ、明日からでも出仕して下されい、官職のことは追って手配しましょう」
穏やかな顔に微笑まで含んでそう言われた時は、一瞬自分の耳を疑った。まるで夢を見るような思いで行隆は、飛ぶようにして家に帰った。
とても帰らぬと思っていた行隆が、生きていたばかりか、嬉しい知らせを持って帰って来たので、家中は唯泣きに泣くばかりであった。
続いて清盛は、源大夫李貞を使者として、以後、支配する荘園を示させ、更に当座のまかないにと、馬百匹、金逆両、米などを贈り、出仕の仕度にと、牛車、牛飼、雑色ぞうしきまで整えて贈った。この至れり尽くせりの恩典に、行隆は唯茫然ぼうぜんとするばかりである
「夢ではないのか、夢ではないのか」
彼は、くり返しつぶやいていた。翌日には、五位の侍中じちゅう、元の左少弁に複官したのである。時に行隆、既に五十一歳という年齢であった。
2023/12/16
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