~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅶ-Ⅲ』 ~ ~

== 現 代 語 訳『平 家 物 語 上』 ==

著 者:尾崎 士郎
発 行 所:株式会社 岩波書店
ほう おうの なが され  ♪
治承三年十一月二十日、清盛の軍勢は法皇の御所を取り囲んだ。
「平治の乱の時と同じように、御所を焼打ちするそうだ」という流言が広がって、御所の中は、上を下への大騒ぎとなった。
その混乱の最中に、平宗盛が車をかって御所へやって来た。
「急いでお乗り下さい、お早く」
単刀直入の宗盛の申入れに法皇も驚かれた。
「一体何が起こったのじゃ、わしに何か過失があったとでもいうのか、成親や俊寛のように遠国へ流すつもりなのだろう? わしが政務に口を出すのは、まだ天皇が幼いからじゃ、それもいけないというのなら、以後、政治に関りは持たぬことにしよう」
「いや、そのことではないようでございます。とにかく、世の中が一時いっとき落着くまででも、鳥羽殿にお移り頂きたいという父の願いでして」
「それならば、そなたが、そのまま供奉ぐぶしてまいれ」
法皇の言葉に一瞬たじろいだが、それでも彼は供奉しようとはしなかった。この様子を見た法皇は、改めて亡き重盛の忠誠を思い浮かべるのであった。
「やはり重盛とは格段におとった兄弟じゃわい。先年も、かような目に逢うところを、重盛の一身を賭しての諫言で、事なく済んだものだが、今や諫める者もいなくなれば、清盛の勝手だからのう」
とつぶやかれたのであった。
法皇は車に乗られたが、お供とは名ばかりで、数人の北面の武士と、今行こんぎょうという身分の卑しい僧侶が一人、ほかには法皇の乳母の二位殿一人であった。法皇を乗せた車が都大路を南に下って行くのを見た人々は、改めて、いくつかの地震の予言を思い出し、法皇の胸中を察して悲しさに顔を掩った。
鳥羽殿に着くと、どういやって紛れ込んだものか、大膳大夫だいぜんのだいふ信業のぶなりが法皇の御前んに伺候した。このなじみ深い近臣の出現に法皇もひどく嬉し気に見えたが、側近くに呼びつけると、
「何か今夜あたり殺されそうな気がしてならぬのじゃ、ついては、行水などして身を清めておきたいのだが」
と言われた。唯でさえ、今朝からの出来事で気の転倒している信業だが、法皇の仰せを有難くうけ給わると、早速、そのへんの垣根を壊して薪を作り、釜に水を汲み入れて、即製の行水をつくった。
一方、法皇の近臣の一人、例の浄憲法印は」、臆する色もなく一人で西八条の邸に出かけ、
「法皇が鳥羽殿へ行幸と伺いましたが、聞けば、人一人御前にはおらぬとのこと、余りのことと思いまする。私ひとりがお側にいても別に差し障りがあろうとは思えませぬ。是非、お側にまいりたいと思いますが」
と言った。
法印にはかねがね好感を抱いていた清盛は、
「貴方なら誤ることもないわ、早く行きなさい」
と異例のお供を許したので、法印は鳥羽殿に飛んで行った。
法皇は、乳母の二位殿を横に坐らせて、お経を読んでおられたが、読みながらも、とどめなく涙を流しておられる様子に、法印もつい貰い泣きをしてしまった。
二位の尼御前が、
「法印殿、法皇様には、昨日の朝、御所でお食事を召し上がってからは、夕べも今朝も召し上らず、夜分もお休みにならず、これではお命にかかわること故、心配いたしておりますのじゃ」
と心細そうに言った。
「いやいや、平家も楽しみ栄えて二十余年、そろそろ限りの来る頃と思えます。まして、天照大神、正八幡、ましてや、ご信仰厚い日吉山王ひえさんのう七社が、法皇をお見捨てになるような事がございましょうか。やがて賊臣は、水の泡の如く消え失せ、再びご政務は法皇の御手に戻ること間違いなしと存じまする」
と面に誠を現して慰める法印の言葉に、法皇の顔にも、漸くほっとした思いが立ち戻られた様子であった。
主上は、関白の流罪からこの方、引き続いた多くの殿上人の災難をひどく気に病んでおられたところへ、法皇が鳥羽殿にお移りになったと聞いて以来、食事もろくろく咽喉のどを通られず、病気と称されて寝殿に籠る日が多かった。
夜になると、臨時のご神事と称し、清涼殿でひたすら法皇の無事を祈られるのであった。
2023/12/17
Next