~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅶ-Ⅲ』 ~ ~

== 現 代 語 訳『平 家 物 語 上』 ==

著 者:尾崎 士郎
発 行 所:株式会社 岩波書店
源 氏 そ ろ え (一)  ♪
そのころ、後白河法皇の第二皇子、以仁もちひと親王は、三条の高倉に住んでいたので高倉宮と呼ばれていた。彼は十五歳の年に、近衛河原の大宮の御所で、世を忍ぶように、ひっそり元服した。宮は才芸、人に勝れ、ご筆跡もまことにうるわしく、側近のものを感心させていた。世が世なら、皇太子にもなり、皇位につかれる方であったが、故建春門院のそねみをうけて、押し込め同然の境遇におられた。そのため、春、花ほころべばその下で能筆を振っては詩を草し、秋、月の宴には、愛蔵の笛を手にして雅曲を奏していた。
花に不遇の心をうたい、月に満たされぬ思いを語る風雅の道に世を捨てたように生活していた。そして治承四年を迎えた。時に高倉宮三十歳である。
平家一色の京に源氏として留まりながら、巧みな政治力でいの地位を保っていたのは、この頃近衛河原に住んでいた源三位げんさんみ入道頼政であったが、ある夜秘かに高倉宮を尋ねた。受け入れられぬこの世に望みを捨てたのか、自然を心の友として、月日を送って来た宮の前に現れた源三位頼政の顔は緊張に満ちていた。何の火急の用事かと不審気な宮の面を凝視みつめながら低く語る頼政の声は、宮の心に強くひびいた。
「君は、天照大神より四十八世の御子孫、神武天皇より七十八代にあたらせられる尊いお方。本来なら皇太子にも立ち、天子の位にもつかれるご身分です。しかるに君の御年すでに三十三歳、今もってただの宮家でお過ごしになっていられる、残念なことと思召されぬか。ごご病身の御方ならいざ知らず、才覚にすぐれ給う宮が、世に捨てられたままで終わられてよいと思召すか。平家の専横のため、鳥羽殿にご幽居されている父君法皇のお憤り、お悲しみを案じられようとはお思いにななりませぬか」
たたみかける頼政の声は不気味な力をもって宮に迫って来た。
「ただちに平家撃滅のご謀叛むほんあるのみですぞ。平家、この世から去らば、宮はご即位、そして法皇へのご孝養もできます。これに過ぐるものはござらぬはず。今こそ、宮のご決意のとき。もし、決意あられて令旨を下され給うなら、宮のもとに喜び勇んでせ参ずる源氏の兵は、諸所諸国に宮のご想像より遥かに多いのです」
高倉宮の面をわれ知らずよぎる動揺の色を読みとったのか、頼政は膝を進めて、かねて調査してあるところを示した。謀叛成功への現実的証拠ともいうべき反平家勢力の人名表である。
「まず、この京にかくれて平家をうかがう者、出羽前司でわのぜんじ光信みつのぶの子、伊賀守いがのかみ 光基みつもと、出羽判官はんがん光長みつなが 、出羽蔵人くらんど光茂みつしげ、出羽冠者かんじゃ光義みつよし、熊野にかくれる者は故六条判官はんがん為義ためよしの末子、十郎義盛よしもりです。摂津には多田蔵人ただのくらんど行綱ゆきつながおりますが、こやつは新大納言成親卿の謀叛のとき、一度びは味方につきながら、途中で寝返りを打った裏切者ですから論外です。しかしその弟、多田次郎ただのじろう朝実ともざね手島冠者てじまのかんじゃ隆頼たかより太田太郎おおたのたろう頼基よりもとは信頼するに足る存在です。さらに、河内かわちには石川の郡を領する武蔵守むさしのかみ入道義基よしもと、その子石川判官代いしかわのはんがんだい義包よしかね大和やまとには宇野七郎うののしちろう親治ちかはるの子太郎有治たろうありはる、次郎清治きよはる、三郎成治なりはる、四郎義治よしはる。またさらに近江には山本、柏木、錦織にしごり。美濃、尾張には山田次郎重弘、河辺太郎重直、泉太郎いずみのたろう重光しげみつ浦野四郎うらののしろう重遠しげとう安食次郎あじきのじろう重頼しげより、その子の太郎重資、木田三郎重長、開田判官代かいでんのはんがんだい重国しげくに矢島先生やいまのせんじょうい重高しげたか、その子の太郎重行。甲斐には逸見冠者へんみのかんじゃ義清、その子の太郎清光、武田太郎信義、過々美次郎かがみのじろう過遠光とおみつ、おなじく小次郎長清、一条いちじょうの次郎忠頼、板垣いたがきの三郎兼信、逸見兵衛有義ひょうえのありよし平賀冠者ひらがのかんじゃ盛義もりよし、その子四郎義、故帯刀先生ta てわきのせんじょう義賢よしかたの次男木曽冠者きそのかんじゃ義仲よしなか伊豆いずの国には流人るにん前右兵衛佐さきのひょうえのすけ頼朝よりとも常陸ひたちrt>には信太三郎先生しだのさぶろうせんじょぷrt>義憲よしのり佐竹冠者昌義まさよし、その子太郎忠義、三郎義宗、四郎高義、五郎義李。陸奥には故左馬頭さまのかみ義朝よしとも末子ばっし九郎冠者くろうかんじゃ義経よしつねなど。いずれも皆六孫王経基つねもとの子孫で、多田新発意ただのしんぱち満仲みつなか後胤こういんなのです」
2023/12/24
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