~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅶ-Ⅲ』 ~ ~

== 現 代 語 訳『平 家 物 語 上』 ==

著 者:尾崎 士郎
発 行 所:株式会社 岩波書店
のぶ つら 合 戦 (二) ♪
五月十五夜の月に照らされた御所は明るかった。敵も味方も戦いやすい条件ではあったが、敵は不案内、信連は近寄る者を廻廊に誘い寄せては一刀のもとに袈裟けさがけに斬り、壁にいつしか追いつめては胸を刺した。
「宣旨の使いだぞ、手向かうのか」
と信連を持て余した役人どもがおめいた。
「宣旨とは何じゃ」
嘲笑あざわらうそのひまにも、信連は太刀を振るった。入念の作りとはいえ、彼の太刀は衛府作りの華奢なものである。激しい打合いに刀身が曲れば、咄嗟に手で直し、それでも及ばぬ時は足で刀身を正しながら、縦横に白刃を踊らせた。
幾多の合戦で身につけた信連の太刀さばきは水際立ち、彼の刃に伏した者は忽ち十四、五人を数えた。倒された仲間の血が彼らを奮起あせたのか、新手は死物狂いで大長刀を打ち振りながら立ち向って来る。ひと声叫んだ横なぎの一撃を、信連が応と受け止めた時、鋼がなったとみるや、太刀の切先三寸が折れ飛んだ。飛びすざった信連にしたりと追手が迫る。太刀を捨てた彼は、もはやこれまでと切腹を決意した。鞘巻さやまきを逆手に握ろうと腰間を探ったが、しかし斬合いのうちに落としたのであろう、鞘巻は腰になかった。素手の信連は襲いかかる敵の刃の下に身を沈めるや、一気に庭に降り、高倉通に面した小門を目指して大手をひろげて駈け出した。必死の形相で通りへ躍り出ようとする信連の横合いから、おお長刀が振られた。瞬間、気合とともに地をはねた信連は刃をかわそうとした。しかし長刀の方が速かった。刃は信連の股を縫った。どうと地に転がった信連の上に役人たちが群がり、彼は生捕りにされたのであった。
ただちに御所内に乱入した役人は血眼で高倉宮の姿を捜しもとめたが、もちろんいるはずはない。地団駄踏んだ彼らは、隠れひそんでいた女房たちに悪態の限りを尽くしたあと、信連を縛りあげて、六波羅へ引き揚げたのであった。報告を聞いた宗盛は大床を踏み鳴らして現れると、庭先に引き据えられた信連を見すえて、わめいた。
「おのれは、宣旨の使いと名乗る男を、何が宣旨じゃと申して斬ったとな。嘘とは言わせぬ。そのうえ、検非違使庁の多くの下郎もあやめた。断じて許さぬ。よい、河原に引き出して、そのそっ首を打ち落としてやる。が、その前に宮の行方を隠さず申したてい、おのれは承知しているはずだ。こやつをきびしく糾問きつもんしてみよ」
信連は不敵な表情で坐り直すと、あざ笑った。
「近頃、御所の廻りを妙な奴輩やからがうろつくのは存じておった。大したこともあるまいと、今夜も馬鹿にしておったのは拙者の間違いであったが、どうも大層な事をやるご仁たちじゃ。物音がするので出れみれば、鎧武者よろいむしゃが三百騎、余程あの御所が恐ろしいとみえる。何用じゃと尋ねると、宣旨のお使いじゃという返事じゃが、昨今はあちこちで、窃盗、強盗、山賊、海賊などの性の悪い奴らが、公卿がお出でになったとか、おれたちは宣旨のお使いであるなどと称して悪事を働いていることは、拙者よく耳にしているのじゃ。夜半ものものしい出立の人相の悪い奴輩やからから、のっけに宣旨の使いと言われても信用は出来ぬ。腕に覚えがあるかどうか知らぬが、いきなり斬りかかって来る。宣旨とは何じゃと申して斬り捨てたまでじゃ。しかし生捕りとは無念。この信連、甲冑かっちゅうを身につけ、鍛え上げた太刀を持てば、押し寄せた役人どもを一人でも無事に帰してはおらぬ。宮の行方をお尋ねのようじゃが、拙者知り申さぬ。たとえ存じていても申しはせぬ。糺問などしても信連には無駄な事じゃ。侍が決心したことを拷問などで脅かされるとは、卿も侍じゃ、ご存知あろう」
こう宗盛を睨んで答えた信連は、言い終わると固く口を結んだ。そしてそっぽを向くと、もう如何なる質問にもおしのように沈黙した。
この信連の態度は居並ぶ平家の侍たちを感心させた。「これこそ一騎当千の侍」とい言葉が互いに囁かれた。またある男は、「彼の武勇は今に始まったことではない。先年、彼が院の蔵人所くらんどどころにいた時だが、手強い強盗六人を取りおさえたことがあった。この強盗は、守護の武士でも立ち向かえなかった程の奴らであったが、逃げる賊をただ一人で追いかけ、二条堀川で六人を相手の斬合いじゃ。そして四人を斬り、二人は生捕った。左兵衛尉に任ぜられたのは、この時の手柄からじゃ。今斬られるには惜しい侍よ」と語る者もいた。この噂が入ったのか、清盛入道は、信連を斬るのを止め、彼を伯耆ほうきの日野へ流すことに決めたのであった。
その後、平家亡び、源氏の世になった時、信連は東国へ下り、梶原平三景時に仕えたが、あるとき、この合戦の話をすると、頼朝公がこれを聞き、「けなげなやつ」といって、能登国に領地を与えられtたという。が、これは後日の話である。
2023/12/28
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