~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅶ-Ⅲ』 ~ ~

== 現 代 語 訳『平 家 物 語 上』 ==

著 者:尾崎 士郎
発 行 所:株式会社 岩波書店
きおう (一) ♪
高倉宮が法輪院で休まれている頃、京の街は宮の謀叛むほんの噂でもちきっていた。戦乱はもはや免れまい、あわてて逃げ仕度にかかる者さえいた。と共に一体何が宮を謀叛に走らせたのかという詮索が囁き交された。黒幕とも目される源三位頼政の名が、人々の口に上ったのもこの時である。高倉宮謀叛の知らせは京都に大きな衝撃を与えた。騒動はいつ終わるとも知らなかった。
宮を打倒平家へ走らせた源三位頼政は、どんな動機を持っていたのだろうか、今迄都にあってたれと衝突するでもなく穏やかに過ごして来た侍である。何故、今年になって急に平家滅亡を心に誓ったのか。
つらつら案ずるに、これは入道頼政が、勝手気ままな仕打ちを続けて来た平家の次男宗盛を憎んだためと思われる。
三位入道の嫡子伊豆守いずのかみ仲綱なかつらしたと名付けられた鹿毛かげの名馬を持っていた。宮中にまでその名が知られた逸物で、乗り心地といい、走り具合といい抜群の鹿毛で、恐らく世に二匹はいまいといわれたほどである。これを知って欲しがったのが宗盛である。早速、中綱のところへ使者が立てられた。
「世に聞こえた名馬「木の下」を所望いたしたいが」
という。中綱は使者に答えた。
「お名指しの馬は確かに所有しておりましたが、近頃あまり乗り疲れさせたので、しばらく休ませようと田舎に送っている次第です」
使者の報告を受けた宗盛は、それでは仕方がないとあきらめた。ところが、平家の侍どもは口々に宗盛に告げた。
「あの馬なら一昨日おととい昨日きのうも私は見ております。現に今朝も庭で調教しているところをこの目でしかと見ました」
怒ったのは宗盛である。何というけちな奴、惜しい余りに嘘をつきおったな、それならそれで、こちらも断じて貰い受けてやる、とばかり使者を再び立てての矢の催促である。断わられても引き下がる男ではない。二度が三度、七度八度となって仲綱をせめ立てた。これを耳にした三位入道頼政は息子を呼んでいい聞かせた。
「たとえ黄金こがね作りの馬であっても、人がそれを欲しがるのを、断わるのはよろしくない。侍たるものが物惜しみすると人に言われてはならぬ、馬はやるがよい」
父に説かれて愛馬を手離す気になったものの、いざとなるとその決心もにぶりがちである。漸く一首の歌を記して、馬とともに宗盛の所へ送った。歌にいう。
こいしくば 来ても見よかし 身に添うる かげをばいかが 放ちやるべき
もちろん宗盛は返歌などという礼儀は守らなかった。もっぱら愛憎二つながらまじる目つきで「木の下」をねめ廻していた。
「噂にたがわぬ名馬じゃ。馬は良い、だが持主の惜しみ方が憎い。それならば仲綱めが心を慰めてくれよう、やつの名を馬にしるせよ」
仲綱の焼印を押された「木の下」はこうして宗盛の厩に収まったが、伝え聞いた客たちが訪れて、一目名馬をと所望すると、薄笑いを浮かべた宗盛は馬をひかせると怒鳴った。
「仲綱めに鞍をおけ、引き出せい。仲綱めに乗れい、打て、なぐれ」
無念の涙にくれたのは仲綱である。掌中のたまを奪われたばかりか、ことごとわが身を嘲弄される。父の前に現れた仲綱は、父への恨みもまじる眼差しを投げながら訴えた。
「わが身にも代えたいあの馬を、あたら権力で奪われたのは無念に存じまする。そのうえ、天下の笑い者になっておりますこの身。父上、あきらめられぬ恨事にござります」
「わしも人を見る眼がなかった。お前の胸の内は察してやる。それにしても侍の道を知らぬ奴輩やからじゃ。われらに何も出来まいと思うて、平家はかかる仕打ちも平気で行なっておるのじゃ。これほど馬鹿にされては源氏の名もすたる。生きながらえても、所詮しょせん命の無駄使いじゃ。わしも決意した、機会をうかがって奴らに思い知らせてやる所存じゃ。仲綱。今はこらえてくれい」
こうして、頼政は機会を狙っていたが、遂に高倉宮を動かして、このたびの挙に出たものである。これは、世間の人が噂していることであったが、信ずべきものと思われる。
さて、高倉宮が三井寺へ逃げた十六日の夜、京の源三位入道頼政の家は突然あちこちから火の手があがり、どっと炎上し始めた。火焔の明りで人々が見たのは、甲冑かっちゅうに身を固めた武者三百余騎が北へ目指して走り去る姿であった。源三位入道頼政が、嫡子伊豆守仲綱、次男源大夫判官兼綱、六条蔵人ろくじょうのくらんど仲家なかいえなどを引き連れて三井寺へ馳せ参ずる姿である。おのれの邸に火を放って、決意を示したのであった。
2024/01/04
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