~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅶ-Ⅲ』 ~ ~

== 現 代 語 訳『平 家 物 語 上』 ==

著 者:尾崎 士郎
発 行 所:株式会社 岩波書店
山 門 へ の 牒 状 ♪
高倉宮を迎え、頼政一派を受け入れた三井寺の大衆は、起り得べき事態にそなえて急遽その対策を練った。ほら貝が吹かれ、鐘が打ち鳴らされて衆徒が一堂に集められ、真剣な会議が開かれた。平家の大勢に抗するに所詮人数が足らぬとあれば、味方を至急集めなばならない、ではいかにして動員するか、宗徒の会議の焦点はここにあった。
「つらつら近時の世相を案ずるに、仏法の衰微、政道の弱化がいまに過ぐるものはない、もし清盛入道の暴悪をこらしめなければ、いつの日を期せようか。宮の当寺への入御も正八幡宮の加護というべきだ。仏も神もわれわれの挙にその力を与え給うにちがいない。思うに比叡山は天台宗の一味、奈良興福寺は安居得度の戒場である。彼らにげきを飛ばすなら、必ずやわれらに味方しよう」
という意見が全員一致でむかえられた。直ちに檄文が草されて、比叡山と興福寺へおくられた。比叡山への状にいう。
「格別のご協力を願い、当寺の破滅を救っていただきたい。入道清盛はほしいままに仏法を亡ぼし、朝政を乱そうとする現状を、われらひそかに嘆いたいた。ところで、今月十五日夜、高倉宮不慮の難を逃れて当寺へ入御されたのであるが、平家は院の御命令と称して宮の引渡しを度重ねて要求してきている。当時は固い決意をもって拒否してきたが、平家は武力に訴えてもと、軍勢を当寺へ差し向けようとしている。当寺の危急存亡のとき、破滅のときである。
案ずるに、延暦、園城おんじょうの両寺は、今山門と寺門とにわかれてこそいるが、学ぶところは共に一つの天台宗である。これを例えるなら、鳥の双翼、車の両輪ともいえる。もしこの一つでも欠けたなら、その嘆きこれにまさるものはないと信じている。どうか格別の協力で当寺の破滅を救っていただきたい。
右はわれら衆徒全員の決議である。よってこの檄文を貴寺へお送りする次第である
    治承四年五月十八日                   大衆一同」
2024/01/08
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