~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅶ-Ⅲ』 ~ ~

== 現 代 語 訳『平 家 物 語 上』 ==

著 者:尾崎 士郎
発 行 所:株式会社 岩波書店
南 都 へ の 牒 状 ♪
三井寺から檄文を受取った比叡山門の大衆は、いささか機嫌を損じた。山門は本山であるとの自負がある。「鳥の双翼、車の輪」という文句が気に障った。当山の末寺三井寺が山門を同格に扱うのは無礼であるというのである。憤慨のうちに返事はのばされた。これと殆ど時を同じうして。天台座主明雲大僧正が突然山に来て、衆徒を説得して廻った。清盛の打った手である。こうして、三井寺への返事には、態度未定、目下検討中という政治的用語をふんだんに使われた返書が送りかえされた。入道清盛から、さらに比叡山衆徒の懐柔策がとられ、通りがかりの手土産として、近江米二万石、北国の 織辺絹おりのべぎぬ三千疋を山門へ寄せた。急ぎ皆に分け与えよ、というので谷や峰の僧坊にわけられたが、突然の事で分配はうまくゆかず、どさくさに紛れての一人占めなどの火事場泥棒騒ぎであった。
また奈良興福寺への三井寺からの檄は、比叡に送ったものとほぼ同文であったが、その末尾に、
「特に貴寺においては、罪なき関白藤原基房卿を鬼界ヶ島に流されるなど、清盛からは多くのはずかしめを受けられている。この時恥をすすがずんば、いつの日を期し得ようか」
と特記し、格別の協力を要請したのであった。
2024/01/09
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