~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅶ-Ⅲ』 ~ ~

== 現 代 語 訳『平 家 物 語 上』 ==

著 者:尾崎 士郎
発 行 所:株式会社 岩波書店
南 都 返 牒 ♪
山門から拒否同様の返事を受けた三井寺衆徒は、これで孤立するのではないかとの不安におののいていたが、興福寺からの返書は大いに気勢を上げさせた。それほどこの返書は激越な文句で綴られていたのである。
「興福寺より園城寺へ返事申す。当寺一味同志決議したこと左の如し。
ともにわれわれは釈迦一代の教文を奉ずるもの、喜んで貴寺へ合力を誓うものである。
およそ清盛入道は平氏のかす、武家ごのにと申してよい。彼はもとより賤しい身の出であって、かつては名もない若侍さえ彼に仕えるのを恥じたものであったが、今や一族を貴官に列し、百官を下僕のように召使い、王侯公卿でも意のままに捕縛する暴虐を行なっている。家代々の領地、荘園を奪うなど、その例数えるいとまがないほどであるが、去年の冬十一月には関白を配流されたのである。この古今に例のない暴悪に、われらは賊徒として彼をその罪に問うべきであったが、あるいは神慮ととなえ、あるいは勅旨と称して偽りの名分を立てるなどで、われわれも隠忍せざるを得なかった次第。ここに平家ども御所を包囲したところが、春日大明神ひそかに姿を現して高倉宮を貴寺に送り届けたのは、王法未だ衰えざる兆しとみるべきものである。
貴寺が身を捨ててご守護申し上げるのは喜ぶべきこと、当寺も合力に全力をあげるものである。当寺すでに十八日朝大衆を集め、緒寺に檄を飛ばして末寺に指令を与えるなど、合戦の準備を行なっているところへ、貴寺の芳翰ほうかんを得たのであるから、われら衆徒一同の年来の不平霧消、士気大いにあがった。
われら協力すれば、邪臣を打ち払うことも難からずと信じている。貴寺親王を守りて、われらの進発の報を待たれたい。
     治承四年五月二十一日
まさに会心の返書である。三井寺衆徒が何れもくり返しこれを読んだその心は察するに難くはない。夜を日に継いでの戦への準備もはずんだ。
2024/01/10
Next