~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅶ-Ⅲ』 ~ ~

== 現 代 語 訳『平 家 物 語 上』 ==

著 者:尾崎 士郎
発 行 所:株式会社 岩波書店
橋 合 戦 (一) ♪
しばらく進むうちに、高倉宮は宇治橋に来るまで六度も落馬した。側近が昨夜お寝みにならぬお疲れのためであろうと、平等院びょうどういんにお入れして休息させた。敵襲をおもんばかって、宇治橋の橋板三間を引き剥がし、宮と共に兵もここで一息入れた。
一方、宮奈良へ落ち給う、という情報を掴んだ六波羅では、ただちに追って討ち取れと、大将軍に左兵衛督さひょうえのかみ知盛とももり頭中将とうのちゅうじょう重衡しげひら薩摩守さつまのかみ忠度ただのり、侍大将に上総守かずさのかみ忠清ただきよ飛騨守ひだのかみ景家かげいえを始めとした軍勢二万八千余騎が小幡山こばたやまを越えて急迫した。
六波羅勢の先兵が宇治橋のたもとにつけば、橋の板が外され、川向うには頼政の兵が陣を構えていた。見るみるうちに平家の勢が橋のたもとに黒山のように集まった。どっと起る平家のときの声に応じて、宮の側でも鬨をあげる。と、小勢とみてとった平家が一斉に橋を押し渡ろうと進みはじめた。あわてたのは先陣の兵である。
「橋板がとってあるぞ、進むな、進むな」
と声をらしての制止も、はやり立った後陣の耳に入るわけがない。われ先にと進む兵たちに押され押された先陣の兵は、悲鳴をあげながら川に落ちては次々と溺れていった。ようやく事態を察して兵を収めた平家と、高見の嘲笑を投げていた宮側とは川をはさんで対峙たいじした
この日を最後と心に決めた三位頼政は、科皮威しながわおどしの鎧を着て、兜はつけていない。嫡子伊豆守仲綱も兜を外している。これは弓を強く引くためであった。
両軍の矢合わせが戦を告げた。宮側の五智院の但馬たじま、渡辺のはぶくなどが射かける矢は、強弓から放たれた。楯を抜き鎧を通して人を倒した。両軍から矢が飛び交い、矢叫びの声高まって行くなかに、一人の侍が大長刀をさやから抜くと、するすると橋の上に進んだ。
五智院の但馬である。これを見た平家から、不敵な奴、よき目標ぞ、射ちとれ、射ちとれと雨のように矢が飛んだ。橋の真中に構えた但馬の長刀は神速の業を見せた。頭を狙う矢には身を沈め、低い矢は飛びこえた。真向うから飛び来る矢は長刀で丁と切って落とし、横から襲う矢を騒がず柄ではたき落とす。長刀の刀がきらめくとみるや二つになった矢が散り落ちるさまに敵も味方も感嘆した。
また堂衆の一人、筒井つつい浄妙明秀じょうみょうめいしゅうは黒皮威の鎧に五枚兜の緒をしめ、二十四本の黒ほろの矢を背に白柄の大長刀を摑んで橋に一人進み、轟く大音声をあげた。
「遠からん者は音にも聞け、近からん人は目のも見よ、三井寺には隠れなき筒井の浄妙明秀じょうみょうめいしゅうという一人当千のつわもの、われと思わん人々は近う寄れ、見参せん」
といい終わるや否や、彼の手は黒ほろの矢を弓につがえて放った。たまらず射抜かれた一人が倒れる間もなく、明秀の弓から引きも切らず正確な矢が飛ぶ。背のえびらに矢が一本もなくなった時、十二人が射殺され、十一人が負傷したという速射であったが、弓をがらりと捨てた明秀はつらぬき・・・・を脱いではだしとなるや、ひらりと橋桁にとんだ。猿の如く橋桁を走るとたちまち敵陣に近づき、白柄の大長刀を打ち振う。小癪っとばかりに踊りかかる敵兵一人二人が血煙をあげ、その数五人を数えた。立ち向かう六人目の敵の長刀を心得たりと受け止めた時、彼の長刀は真中より折れた。すかさず腰の黒漆の太刀を抜けば、そのまわりを敵兵が取り囲んだ。しかし明秀の振う太刀は縦横に暴れた、十字を画き水車のように廻っては四方に斬りつけた。すでに八人の敵が死んだ。九人目に、こやつもと真っ向から鋭い刃風とともに打ち下ろした明秀の太刀は兜の頂に当たった。目貫の元から折れた刀身は抜けて川に飛んだ。いまや頼みとするは腰刀一つ、明秀はここを死場所と覚悟して死物狂いで再び大勢の敵に向った。
024/01/14
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