~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅶ-Ⅲ』 ~ ~

== 現 代 語 訳『平 家 物 語 上』 ==

著 者:尾崎 士郎
発 行 所:株式会社 岩波書店
若 宮 御 出 家 ♪
三位入道、渡辺などの党を殲滅した平家の兵たちは、三井寺の大衆もまぜておよそ五百ほどの首をあげた。頼政の首級は遂に発見出来なかったが、彼の子息たちの首はすべて探し出された。太刀、長刀の切先にこの首を突き刺した平家の軍勢は勝鬨かちどきをあげ、勇みわめきながら帰途についたが、その騒ぎは大きかった。切り落とした首をかかげた軍勢が六波羅に着いたのは夕方近かった。首実験は簡単にすんだが、問題になったのは高倉宮の首級である。宮の世に隠れたような生活から御所に出入りしてその顔を知っている者は少ない。先年宮が病気の時召された医者典薬頭てんやくのかみ定成がいるはずである、あの者なら首を確認出来ようというので、使いが走ったが、ただいま病の床に伏しているのでお役には立てない、と申したきり出て来ない。そこで宮の情けを受けた女が求められた。ここに宮が長年寵愛しつづけて、宮の子も多く生んだ女房が漸く見つかり、これなら見損じはあるまいと呼び出された。宮の首を一目見たこの「女房は、袖を顔に押しあてるとそのままうつぶした。肩が大きく波打ち、こらえきれぬ嗚咽おえつが洩れる。宮の首は確かめられたのである。
一方、平家首脳の間では、高倉宮の子供たちが八方手をのばして追求された。宮には腹違いの子供が多かったのであるが、その中に八条女院に仕えていた伊予守盛教の娘で三位局さんみのつぼねと呼ばれた女房には、今年七歳の若宮と五歳になる姫宮がいた。清盛入道の弟いけの中納言頼盛よりもりは使いとして八条女院の御所を訪ね女院に言上した。
「姫君については何も申しませぬ。若宮を当方に引渡して頂きとう存じます」
「今はもう遲うございます。若宮お召出しという噂がここにも伝わった暁方、乳母たちが浅はかな考えから若宮を連れ出してしまいました。この御所にはおりませんし、私もどこへ隠れているのか知りませぬ」
と女院は答えた。もちろんこれはかくまうがための方便であったが、頼盛が仕方なくこの旨を入道に伝えると、清盛は声を荒げて言った。
「お前も何という人の好い奴だ。若宮がsの御所に居なくてどこに居る。あそこにいないというなら武士どもをやって、もう一度探し出してまいれ」
こうした中で若宮は女院に悪びれるところなく申し上げた。
「これほどの大事になりました以上、もはや逃げ隠れいたしますることは出来ませぬ。どうか私を六波羅へさし出し下さいませ」
若宮の子供とも思えぬ毅然きぜんとした言葉に、女院は涙を新たにした。
「七つ八つの年頃の子供といえばまだ聞き分けのない頃、自分のための騒ぎと知ってこんなことを言うのを聞くのは悲しい事、六年も七年もの間、わが子のように慈しみ育ててきたのに、今のこのような辛い目に会おうとは」
と泣かれて、六波羅へ若宮を渡す気持にはなれない。そこへ再び頼盛が申し上げたので、女院もとうとう、あきらめられた。
その当日、若宮の母三位局は、朝早くからわが子のそばにつききっていた。泣くなく着物を着せ、髪を何遍も丁寧にくしけずる、わが子の手に触れ、肩に触れ、顔を両手で押さえて離さなかった。六波羅からの車に若宮は乗せられた。女院をはじめ、局の女房、童女にいたるまで涙と共に見送った。若宮の車が六波羅に着き車から下ろされた時、前右大将宗盛がその姿を見つめた。しばらくして父清盛に宗盛は言った。
「前世の宿縁とも申しましょうか、若宮を一目いま見まして宗盛心が痛みました。余りに痛わしく存じます。若宮命を助けても大きな影響はもはやありますまい。どうかこの宗盛に若宮の命をお預け下さいませぬか」
この言葉に清盛は考え込んだ。恐らく彼は宗盛のいう前世の宿縁など問題にしていなかった。彼の頭は高倉宮謀叛と頼政一味の蹶起けっき、この事件が影響を及ぼす政情のの推移、あるいは諸国の治安の紊乱、一代にして築いたおのが地位など考えぬいたであろう。宗盛には父の前に坐っている時間が、おそろしく長く思われた。やおら清盛はこまねいた腕を解くとそっけなく言った。
「それならさっさと出家させてしまえ」
宗盛からこの知らせを受けた女院は、喜ぶには余りにも大きな衝撃をうけていたのか、顔色を変えたまま、
「何の異存がありましょう、ただ早くして下さりませ、ただ早く」
とくり返すばかりであった。
こうして若宮は髪を落とし、法師の姿となって仁和寺にんなじ御室おむろの弟子になった。後に東寺とうじ の一の長者安井宮の大僧正と言われた人は、実にこの若宮であった。
2024/01/18
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