~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅶ-Ⅲ』 ~ ~

== 現 代 語 訳『平 家 物 語 上』 ==

著 者:尾崎 士郎
発 行 所:株式会社 岩波書店
とう じょう  ♪
また高倉宮の子は奈良にも一人居たが、守護役の讃岐守さぬきのかみ重秀しげひでが出家させて、北国へ逃れ落ちて行った。後に木曽義仲が京へ攻めのぼるときに皇位につけようと還俗げんぞくさせたので、還俗の宮とも、木曽の宮とも呼ばれたのであれる。
昔、通乗という人相の達人が居たが、宇治関白頼道、二条関白教道の相を見て、三代の天子の関白となり八十歳長寿を保つと言ったが、見事これに違わなかった。この達人が鎌倉宮の人相は皇位につかれるべき御相だなじと言っていた。人々は人相を占った通乗のことをさまざまに噂しては、以後信頼を寄せなかったのである。
さて清盛は事態が収まると恩賞を行なった。まず宮の謀叛調伏について必死に祈念した高僧たちにそれぞれ位を与えた。重盛の子侍従清宗は三位に叙せられたが、その辞令には、
みなもとの以仁もちひと、並びに三位入道頼政 父子追討の賞」
とあった。源以仁とは高倉宮のことである。皇子を討った上に臣下扱いの姓を与えるなど、あさましい行ないの限りであろう
2024/01/20
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