~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅶ-Ⅲ』 ~ ~

== 現 代 語 訳『平 家 物 語 上』 ==

著 者:尾崎 士郎
発 行 所:株式会社 岩波書店
ぬえ (一) ♪
源三位入道頼政は、摂津守頼光から五代目の子孫三河守頼綱の孫、兵庫守ひょうごのかみ仲政の子である。保元の合戦の時朝廷側につきさきがけしたが別に恩賞はなく、平治の乱においても親類などを捨てて合戦に力を尽くしたが、みるべき恩賞は与えられなかった。大内守護として長年勤めていたが、昇殿は許されなかったのである。年すでに老いた時、一首の歌を詠んだ。
人知れぬ 大内山の山守は がくれてのみ 月を見るかな
この歌が目にとまり昇殿を許されたうえに、正下四位を与えられたが、頼政はさらに三位の位にのぞみをかけた。
昇るべき  たよりなき身は したに しいを拾いて 世をわたるかな
そして念願の三位に進み、出家したので三位入道頼政といわれたが、時に七十五歳である。
この頼政には特に有名な手柄があった。仁平の頃、近衛院が位にあった時のことである。天皇は毎夜うなされ、おびえ続けていた。高僧貴僧が命じられて大法秘法を徹宵行なったがその効験は見えない。天皇は毎夜およそ午前二時頃、東三条の森の方角から黒雲が、ひとむら湧き起り恐ろしい早さで飛来して御殿の上を蔽うと、ひどく苦しまれるのであった。
高僧たちの修法はさっぱりとしるしがなく、天皇の毎夜の苦しみは一向になくならぬのにあわてた公卿たちは、深刻な顔で会議を開いた。席上、昔の話が出て、堀川天皇が夜なよなおびえられたことがあったが、時の将軍源義家朝臣は南殿に宿直とのいしており、御悩みの刻限にいたるや弓弦を三度響きわたらせると、高声で、「前陸奥守さきのむつのかみ源義家」と名乗ると、弓勢に劣らぬ裂帛れっぱくの気勢は聞く者の身が総毛立ち、天皇の苦しみも俄かに軽くなったという、との意見があった。しからばこの先例によるべしと、武士の警固が行なわれることになった。源平より選ばれた中に頼政も入っていたが、この時まだ兵庫頭であった。
「宮中に武士をおくのは、反逆のものを退け、勅に背く者を追討するのを本務とする。目に見えぬ化性の退治とはまだ聞き及ばぬこと」
と極めて不服そうであったが、勅命とあらばいたし方なく参内した。
頼政はかねて信頼をよせている郎党、遠江国の住人猪早太いのはやたただ一人を連れた。この男に鷹の羽の矢を持たせ、自分は二重ふたえの狩衣、山鳥の尾ではいだ鋒矢とがりやを二本、重藤しげとうの弓を持った。この鋒矢二本というのは雅頼弁がらいのべんという公卿が変化へんげのいものを退治るのは頼政であろうといったので、もし一本で妖魔を射損じたなら、残る矢であの雅頼弁の細首を射抜こうと決意したものであった。
南殿に来た頼政は、猪早太をかたわらに控えさせると空を仰いだ。静かに晴れた夜空である。変化飛来の噂などは信じかねる穏やかな夜であった。変化退散の仕事は僧侶にあるはずだ、弓矢をとるこの身は、などと頼政の心中には恐らく不平が渦巻いていたであろう。
夜は更けていった。午前二時近くか、風のないのに木々の梢が立ち騒ぐ、俄かにきっとなって御殿の上を仰いだ頼政の顔は蒼白かった。噂にたがわぬ黒雲ひとむら三条の森から飛び来り、ぴたりと御殿の空を蔽う。鋒矢弓につがえて黒雲を凝視すれば、その中程あたりに怪しき物の姿が隠顕する。灯のもれる主上の室では苦しみの声が高まるような気がする。やがて物音は絶えた。陰鬱な風が音もなく頼政の衣を吹き抜けたとも思えた。かっと身開いた頼政の目に化性のおぼろな姿が次第に輪郭をとってきた。射損じたらわが命はないであろう。彼の弓は満月のように引きしぼられた。南無八幡大菩薩。と心に唱えれば鋒矢は弦を離れた。弦が鋭く鳴った。黒雲の中に目にも止まらず吸い込まれて行く鋒矢が消えたとみるや、一声異様な叫びがひびき、どうと地に落ちて来たものがある。してやったりと叫んだのは頼政である。ぱっと走り寄った猪早太、もがく化性のものを押さえるや刀で柄も通れと突き刺した。一度、二度、早太の刀は九度まで得物を貫いた。
「頼政仕止めたり」
の高らかな声に、人々は手の手に炬火かがりびを持って駆け寄って来た。恐る恐る眺めると、見たこともない異形の化物である。頭は猿、胴は狸、尾は蛇であり、四つ足は虎の如く、鳴く声はぬえに似ていた。
2024/01/23
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