~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅶ-Ⅲ』 ~ ~

== 現 代 語 訳『平 家 物 語 上』 ==

著 者:尾崎 士郎
発 行 所:株式会社 岩波書店
ぬえ (二) ♪
御悩み快癒された天皇は、喜びのあまり獅子王ししおうという剣を頼政に賜った。宇治左大臣頼政がこれを頂いて御前の階段を半ばまで降りた時、ほととぎすが鳴いて空を渡った。
頼政は、しばらく足を止めたが、
ほととぎす 名をも雲井に あぐるかな
と突然詠みかけた。皇居の空に名をとどろかした頼政をほととぎすにかけたのである。これを聞くと頼政、つと右膝をつき、左の袖をひろげると月を斜めに見上げた。
弓張月の いるにまかせて
とよどみなく下を詠む。月にかけたまことに謙虚な態度である。居合わす人々は文武にすぐれた頼政に感動したのであった。
また応保の頃、二条院が位にあった時、鵺という怪鳥が宮廷で鳴き、天皇をひどく悩ましたことがあった。再び頼政が召された。時五月二十日すぎの夜、ぬばたまの闇である。弓を持った頼政が久しく待つと、鵺は一声高く鳴いた。所在を確かめようと空を見上げたが鵺は二度と鳴かなかった。御殿の屋根さえ夜空に溶け込む闇夜である。さすがの頼政も弱ったが、やがて肯くと鏑矢かぶらやを弓につがえた。先程鳴いたと覚しき闇空にひょうと放った。うなりをあげて飛ぶ鏑矢に驚いたか、果たして鵺は高く鳴いて飛び上がる。間髪を入れず頼政の弦から小鏑矢が鋭い音をひいて飛べば、鵺はばったり落ちる。どっと歓声が宮中にわいた。天皇は大層喜ばれて頼政に御衣を賜ったが、彼の肩に御衣を着せた大炊御門おおいのみかどの公能きんよしは、
五月さつきやみ 名をあらわせる こよいかな
と詠みかかけた。
たそがれ時も 過ぎぬと思うに
こう答えたのは頼政である。歌にもすぐれていた彼の面影を伝えるものであろう。
頼政はその後伊豆国を賜り、その子仲綱を伊豆の受領ずりょうとして自分は三位にのぼり、丹波国の五箇の荘、若狭の東宮川とうみやがわなどを所領として、誰もが晩年は安らかに過ごすと思っていたが、このたびの謀叛で自分も子孫も亡ぼしてしまったのである。
2024/01/24
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