~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅶ-Ⅲ』 ~ ~

== 現 代 語 訳『平 家 物 語 上』 ==

著 者:尾崎 士郎
発 行 所:株式会社 岩波書店
もん がく の 荒 行 ♪
清盛の言うように頼朝はさる平治元年十二月、父左馬頭さまのかみ義朝の謀叛によって殺される運命にあったが、池禅尼の必死の嘆願で死を免れ、十四歳の時、永暦えいりゃく元年三月二十日、伊豆国北条蛭ほうじょうひる小島こじまに流されたものである。頼朝はここで二十年余の春秋を送り迎えた。これまで静かに流人の生活を送って来た彼が、何故今年ことしになって兵を起し、平家に立ち向ったのか。それは高尾たかお山の文覚上人の勧めがあったからである。
この文覚上人という人は、渡辺の遠藤えんどう左近将監さこんのしょうげん茂遠もちとおの子で、もとは遠藤武者えんどうむしゃ盛遠もりとおといって上西門院じょうせいもんいんの家臣であった。ところが十九の年、仏門に帰依する心が俄かにおこり、ただちにもとどりを切り捨て修行に出かけた。この若者は修行とは辛いものと聞き及ぶが、どの位のものか、俺が一つ試そう、辛い修行に耐えるかどうか俺の心が知りたいといって、夏の六月、山里の藪に入って修行した。雲一つない空からぎらつく太陽が照りつければ、きつく大地に風一ついなく草の葉一枚もそよがぬ日、山ぞいの藪の中に入ると裸になって大の字に寝ころんだのである。熱気こもる藪の中に吹き出す汗の流るるまかせて大の字に寝ころんだのである。熱気こもる藪の中に吹き出す汗の流るるにまかせて寝ていると、蚊が群がり寄って思う存分血を吸う、あぶが刺し、蜂が刺す、大きな毒蟻どくありが噛み、文覚の五体は、しばらくすると無慚むざんな有様となったが、彼は足の指一つ動かさなかった。こうして飲まずくらわず七日間寝ていた。八日目になると、やおら起きて衣をつけて山を降りた。毒虫の好餌となってゆがんだ顔で人に尋ねた。
「修行とはこの程度の苦しみなのか」
「いや、そんなことを続けていては、命がいくつあっても持ちますまい」
「これしきのことでか」
と言い捨てると再び修行に出かけた。熊野那智神社に参籠しよいうとしたが、まず修行の始めに世に聞こえた那智の滝へ打たれてみようと滝壺のところへ赴いた。
厳寒の十二月中旬である。熊野は雪におおわれていた。雪降りつもり水氷って谷の小川は音もない、峰々から逆巻き吹きおろす風は身を切り、滝の白糸はつららとなって垂れ下がっている。四方を見上げても白銀一色の世界、梢も見定められぬその中に轟轟と瀑布ばくふが地を揺るがして鳴っていた。文覚は衣を捨てると、雪を踏み氷りを割って滝壺に下り、首まで体を沈めた。みるみるうちに足の手の感覚が失われてゆく。文覚の唇から白い息とともに慈救じく呪文じゅもんが滝音に抗するように唱えられた。こうして不動明王の呪文十万遍を唱え切ろうというのだが、二、三日は忍び耐えた。五日目にもなれば知覚は体から殆ど消えた。やがて失神の文覚が浮びあがると、数千丈の断崖から落下する滝水の勢いにあっという間に流された。刃のように切り立った岩と岩の間を水にもまれ流されること五、六町、流木の如く水にもてあそばれて所詮命はないものかと思われたが、突然何処より現れたか、美しき童子が忽然として姿を見せると、文覚の手を取って岸に引き揚げた。これを目にとめた修験者たちは、不思議に思って懸命の介抱を行なった。氷のような文覚の体を焚火で暖めるなど手をつくすと、文覚はほどなく生命を取り戻した。
だが生き帰った文覚は修験者たちに礼一つ言わなかった。介抱者たちをあたかもおのが修行の邪魔者であるかの如く、はったと睨まえると大音声をあげた。
「わしはこの滝に三七、二十一日打たれて慈救の呪十万遍唱えるとの大願を立てた。今日はまだ僅か五日目にすぎぬ。七日目も来ぬというのに、このわしを連れ出したのは誰かっ」
雪を素足で踏んでの文覚の形相と大音声は、修験者たちには天狗てんぐの出現とも見えたのか、彼らは顔色を変えて身をふるわせた。後を振り向きもせず文覚は滝壺に真直ぐに戻って行った。
再び首まで凍る滝壺に身を沈めた文覚の口から朗々たる呪文が聞こえた。二日目、呪文は途絶えがちである。一際高くなったかと思うとばったり消えた。その時降りつづく雪に紛れて舞い下りたか、八人の童子が姿を現し、文覚の手をとって引き上げようとする。気のついた文覚は退き上げ引き上げられまいと摑みa争う。半死の人間の激しい抵抗がしばらく滝壺で続き、まもなく、童子たちは姿を消した。最後の気力をふりしぼって呪文を唱えるというより、わめきちらす文覚の姿は、もはや人間とは見えなかったという。その翌日、文覚は凍る水の中で息が絶えてしまった。神聖な滝壺を汚すまいというのか、びんずらに髪をゆった天童二人、滝の上から現れ、香しくも暖かい手で、文覚の頭を撫で、手足の爪先、掌にいたるまで丁寧にさすってやった。すると文覚は夢心地で息を吹き返した。そして、
「貴方たちはどなたなのです、どうしてこの私を憐れんで救って下さるのか」
「私たちは大聖不動明王だいしょうふどうみょうおうの御使の金伽羅こんがら勢多伽せいたかという童子、文覚無上の大願を起して勇猛なぎょうを企てているから、行って力を借してやれとの仰せ、不動明王のご命令で現れたのです」
と童子の一人が答うれば、文覚はたちまち声を荒げて言った。
「不動明王はどこにおられるか?」
都率天とそつてんに」
と優しい声で答えると、天童二人笑をたたえてゆるやかに空高く昇って消えた。
文覚は思わず正座すると合掌した。さてはわがぎょうを不動明王がしろしめすところとはなったか、これなら大願も成就するであろうと勇気百倍、晴れやかな顔で滝壺にもどって行った。果たしてそれからというもの、文覚の身に瑞相ずいそういが現れた。吹き荒ぶ冷たい嵐も彼には春の微風と思われ、凍る滝壺の水も湯のように感じられた。こうして三七、二十一日の大願遂に成ったので、那智神社に千日間参観、ついに目的を遂げたのであった。その後、大峰に三度、葛城かつらぎに二度、高野こうや粉川こがわ金峰山きんぷせん白山はくさん、立山、富士のたけ、伊豆、箱根、信濃の戸隠とがくし、出羽の羽黒など、日本全国くまなく廻り修行した。この文覚について都人たちは飛ぶ鳥でも祈り落とすであろう、刃のように鋭い修験者だと評判し合ったのである。
2024/02/05
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