~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅶ-Ⅲ』 ~ ~

== 現 代 語 訳『平 家 物 語 上』 ==

著 者:尾崎 士郎
発 行 所:株式会社 岩波書店
勧 進 帳 ♪
京に帰ったあと、文覚は高尾の山奥で修行した。この山には神護寺じんごじという山寺があったが、久しい間誰も修繕しなかったので荒れるままに放置されている。春は霞に立ち込められ、秋は霧の中に捨ておかれ、痛みきった寺の扉は風に吹き倒された。そのかみ称徳天皇の御代、和気清麿が建立したというこの伽藍がらんも、今は落葉の中に朽ち果て、いらかをおかす雨風は、壁が崩れ落ち柱が倒れてむき出しになった仏壇を朽ちさせていた。むろん住持の僧もなく、参拝に訪れる人もないので、この寺の堂内に入るものは日の光り、月の光りだけである。この神護寺の有様を見た文覚は、何としてもこれを再興しようと心に固く誓い、それからというもの勧進帳を手にして檀那だんなを廻り歩き、寄進を募ったのであった。そのある時、文覚は後白河法皇の御所法住寺殿ほうじゅうじどのにやって来た。御奉加賜れと奏上したが、折しも管弦の催しの時だったので、誰もこれを法皇に伝えなかった。いくら待っても一向に返事の気配が見えないので、ついに文覚は意を決した。生来不敵、筋金入りの荒法師であったから、誰も取次がぬものと決めてずかずか中庭に踏み込んだ。もとより御前の礼儀作法は知らぬ。よし知っていたにせよ頓着する男ではない。弦が鳴り渡る中で、
「法皇は大慈大悲の君であられる、これしきのことをお聞き入られぬはずはない」
と勧進帳を引きひろげると、声高らかに読み始めた。高く低く心を込めて弾かれる弦楽を圧するように、文覚のしゃがれた太い声がひびき渡った。
沙弥しゃみ文覚敬いて申す。貴賤道俗の助成を蒙って、高雄山の霊地に一院を建立し、現世来世安楽を願わんとする勧進の状、それおもんみれば真如しんにょは広大、衆生と仏と名を異にするとはいえ、法性隋妄ほっしょうずいもうの雲厚く覆って、十二因縁の峰にたなびいてからこのかた、人間本来の清浄心かすかにして、未だ三德四曼さんとくしまん大虚たいこあきらかならず。悲しいかな仏日はやく没して、生死流転しょうじるてんちまた冥々みょうみょうたり。人ただ色に耽る。誰か狂象きょうぞう跳猿ちょうえんの迷を取り除くを得ん。徒に人をぼうし法を謗す。これあに閻魔えんま獄卒の責めを免れんや。
ここに文覚、たまたま俗塵を打ち払って法衣を飾るといえども、悪行なお心のあって日夜つのり、善言耳にさからって朝暮にすたる。いたましきかな、ふたたび三悪道に帰りて四生ししょう輪廻りんねに苦しむとは。こ故に釈迦の経文千万巻、巻毎に仏種の因をあかして、縁に従い真を明かす教法、一つとして菩提の彼岸に至らずという事なし。故に文覚、無常の関門に涙を落とし、上下の僧俗を浄土に結縁して、等妙覚王とうみょうがくおうの霊場を建てんとするなり。
それ高雄は山高うして鷲峯山じゅぷせんの梢に似、谷しずかにして商山洞しょうざんどうこけ敷くに似る、岩間の清水流れるこ白布の如く、峰の猿木々の枝に遊ぶ。人里遠くして汚れなく、地形すぐれて仏天を崇むに恰好の地、誰を助成せざらんや。ほのかに聞く、童子の砂で作りたる仏塔の功徳、たちまち成仏の因縁となる。いわんや一紙半銭の寄進においておや。願わくは建立の大願成就して、皇居安泰の願満たされ、都鄙とひ遠近ともに、僧俗ともに尭舜ぎょうしゅんの世の平和を謳歌し、長き太平の世を喜ばん。殊にまた死者の霊魂死の前後、身分の上下に関係なくすみやかに、一仏真門のうてなにいたり、法報応三身の功徳集まらんことを願う。
よって勧進修行の趣、、けだし以てかくの如し。
                                            治承三年三月  日
と読み上げたのである。
2024/02/06
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