~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅶ-Ⅲ』 ~ ~

== 現 代 語 訳『平 家 物 語 上』 ==

著 者:尾崎 士郎
発 行 所:株式会社 岩波書店
もん がく被 流なが され (二) ♪
この頃、美福門院がおかくれになったので大赦があり、牢につながれた文覚もこの恩恵に浴し、出獄した。しかし文覚は、遠くの山にでも行って修行でもなされば、という声には一向馬耳東風、平然たる面持で再び例の勧進帳を京の街に読み、諸方に寄進すべき檀那を求めて歩き廻っていた。これだけでなく、勧進帳を読むかたわら不吉なことを大声に言いふらすのである。
「もはや今の世は末世じゃ、この世に戦乱起こって乱れ、君も臣も共に亡びるじゃろう。かくすることこそ、この浅ましい世の救いとはなるじゃろう」
すでに戦乱の不安にさらされていた人心である。この確信ありげな坊主の宣託に動揺する懸念は十分にある。人心のみでない、政府自体が動揺していたのであるから、この文覚の言に過敏な神経をとがらした。
「あの法師は都に置けぬ、流罪にせよ」
ろの命が下されたのは、むしろ当然であった。文覚は伊豆国に流されることに決まった。
時の伊豆守は源三位入道頼政の嫡子仲綱である。彼の采配で東海道を船で「流すがよいということに決まった。出立を控えて、文覚の護送役となった検非違使庁の下役人はやんわり話し出した。
「お坊様もこれからの長旅、難儀なさいますが、われわれがお傍にある以上ご心配はいりませんぜ。まあこうした点でですな、依怙贔屓えこひいきと言っちゃあ聞えが悪いが、われわれもお坊様のことではあり、道中十分に気を配るつもりですがね。そこでですな、魚心に水心のたとえもあり、遠国に流されるのですから、土産みやげ物とか食料品とかを知り合いの方に頼まれたら如何でしょう。今までどなたも心よく応じてくれましたからお坊様も遠慮は無用ですよ。お使いならわれわれ引き受けますぜ」
文覚は眼で笑いながら下役人の話を聞いていたが、
「このわしにそうした調法な知人は余りおらんな。しかしお前たちを失望させるのも気の毒じゃ。うん、東山あたりに懇意の者がおる。手紙で頼んでみようか」
そこで下役の一人が、懐からごそごそと粗末な紙を引き出して筆を添えて文覚に手渡した。文覚は眼玉をぎょろりと光らせるとたちまち怒りだした。
「いやしくも頼みの文じゃ、この粗末な紙に書けると思うのか」
と、紙を投げ返した。剣幕に恐れをなした下役は慌てて厚手の上質の紙を持って来た。
文覚はこれを受取るとにやりとした。
「わしはな、よう字を書かんのじゃ。すまんがお前ら書いてくれんか」
ちびた筆で下役の一人が口述筆記すると、やがて厚手の和紙に汚い字が並ぶ。
「この文覚は高雄の神護寺創立供養のため、百万勧進帳を捧げて檀那を求め歩いたが、寄進してもらえぬばかりか、今流罪の憂き目に会っている。遠く伊豆へ流されるこの身には、土産もの、食糧が必要と存ずれば、この文持つ者にお渡しあれ」
「で、宛名はどなたでございましょう」
「清水の観音じゃ」
と平然という文覚に、役人がこんどはむっとした。
「われわれは役人、それを知ってからかいなさるのか」
「いやいや、わしは決して人をだましたり、からかったりはいたしはせぬ。この文覚、清水の観音を深く信じて頼りにしているものじゃ、わしの知り合いといったら観音以外にないのじゃよ」
賄賂わいろを取り損なって仏頂面の護送役と共に、文覚は伊勢国阿能あのの津から船で東国へ下った。遠江国天竜灘にさしかかった時、海が俄かに荒れた。突風にあおられた激浪は船を木の葉の如くもてあそび、船頭水夫の必死の作業も及ばず、転覆寸前の状態となった。風浪いよいよ険しくなれば、舵を離し帆を捨てた乗組員は観音の名を連呼し、観念した者は念仏を唱えるなど、沈没を目前に控えた船上はいよいよ断末魔の様相をおびてきた。文覚は先程から船底にあって、木の葉に揺れる舟を心地よい揺籠ゆりかごと心得たかあたりをはばからぬ大鼾おおいびきで、荒れ狂う海など知らぬ気に眠り続けている。しかし傾きに傾いた船がもはや沈没かと思われた時、俄かに両眼をかっと開き、身を躍らせ船底より甲板に出るや、仁王立ちとなって逆巻く海を睨みつけると、波の音も消す大音声を張り上げた。
「竜王はいずくぞ、竜王はおるか。聞け、竜王よ、大願を起した聖の御坊この舟に乗る。あやまとうとするな、過たばただいま天の責めを受けようぞ、竜王よ聞け」
この声が竜王に届いたか、あれほど荒れ狂っていた波風が、ほどなく静まった。怒涛よりも文覚を恐れた乗組員と護送役を運ぶ船は、穏やかな海路を渡ってやがて伊豆の国に着いた。
文覚は京を立つ時より、心の中に深く誓ったことがあった。再び京に戻り、悲願の高雄神護寺創立供養をするまでは決して死なぬ。もしこの願のかなわぬならば途中死ぬであろう、という誓いである。彼は断食した。京都から伊豆まで穏やかな順風の日は少なかったので、浦づたいの船路は実に三十一日を費やしたが、その間に文覚の断食は続けられた。船底にあって修行を行ないながら伊豆の国に着いたが、少しも気力は衰えず、これを見る人の眼に彼の姿は尋常の人間とはとても信じられなかった。
2024/02/10
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