文覚は伊豆の住人近藤四郎国隆のあっせんで奈古屋なごやの奥に住んでいたが、ここから兵衛佐頼朝のいる蛭ひるが小島こじまは近かった。頼朝と親しくなった文覚は、話相手として殆ど毎日のように訪れていた。ある時、急にあらたまった口調で頼朝に話しだしたのである。
「思うに平家も今や衰運の兆きざしが、ありありとあらわれていると存ずる。小松の大臣殿おおいどのは心も剛勇、智謀人にすぐれたお方じゃが、去年の八月亡くなられた。大黒柱が倒れたのじゃ。ところで、わしが源平の武士を見るにどれもこれも小粒じゃ、将たる器うつわなく士たたたる勇を持つ人もまれな程じゃが、拙僧の眼力をもってするに、残るは唯、御辺ごへんだけじゃ。天下の将軍の相を持ち、これを成就する実力を持つ者、それは御辺じゃ。兵を挙げられるなら、日本国を治め給う日も近いことと存ずるが如何いかん?」
しばらく窓外に眼をやっていた頼朝は、文覚に視線を移すと、すぐ答えた。
「そtれは思いもよらぬこと、かく申すわれは故池禅尼いけのぜんにに命を助けられた身、そのご恩に報ぜんと毎日法華経一部を転読しておるものでござるが、この他に何も考えてはおろませぬ」
「お言葉じゃが、天の与うるものを取らねば、かえってその咎とがを受くという。時至りたるを行なわざれば、かえってその禍を受くともいう。かく申せば御辺の心を引こうとのたくらみの言葉とも存ぜられようが、左様な儀ではない。わしはかねてから御辺に深い志を寄せている、疑わるるか、まずこれを見られい」
と懐より白い布に包んだものを取り出した。うやうやしく布をとると一つの髑髏どくろである。文覚はそれを頼朝の前に置いて、じっと正面から眼を据えた。
「これは」
「御辺の父故左馬頭義朝殿の首じゃ。平治の乱以後、この頭は獄舎の前の苔こけの下に埋もれ、後世を弔う者一人といえどもおらぬのじゃ。わしは存ずる旨あって獄守にこの髑髏を乞い、以来山々寺々修行で廻る間、これを首にかけて二十余年、弔いたてまつったのじゃ、いまは定めし迷いも晴れて浮ばれたことと存ずる。わしはわしなりに故義朝殿のおんためにはご奉公して来たものと存ずるのじゃ」
と頭を垂れて下に置いた髑髏を見、また二十余年の修行を回顧するもののように眼を閉じた。頼朝は俄かに信じかねる面持であったが、父の首と聞き懐かしさの余り涙をこぼした。しかし対手は名にし負う怪僧である。父の首という髑髏を前にして疑心湧き出ずるのを押さえることは出来なかった。そもそも文覚が伊豆へ訪ねて来ての話なら筋が通る。しかし流された土地がこの伊豆というのは偶然である。神護寺じんごじ再建の悲願のかたわら、平家覆滅の大願を秘かに抱きつづけたという話も特に聞いたことがない。二十余年髑髏と共にあったという、それならば修験者たちも何時しか知り得ようし、その大願が人に伝わるであろう、が、一向に聞いたこともない。聡明な頼朝は考え込んでしまった。しかしまた、文覚の話を全くの嘘と決めつける反証も彼にはない。特に信じれならぬという理由もない。
しばらくして頼朝は静かに言った。
「そもそも頼朝は勅勘の身、罪人でござる。これの許しなくして、いかにして謀叛が起せましょうか」
「そのことならば、いとも、たやすい、わしが京に上り御辺の許しを頂いて来よう」
「御坊も勅勘の身でござるぞ、その身で他人の咎の許しを貰おうとは、些か笑止、そなたの言葉は信用出来ぬ」
と嘲笑あざわらうと、文覚は急に不機嫌になった。
|