~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅶ-Ⅲ』 ~ ~

== 現 代 語 訳『平 家 物 語 上』 ==

著 者:尾崎 士郎
発 行 所:株式会社 岩波書店
伊 豆 院 宣 (二) ♪
「わしの身を願いに行くのならそれは間違っていよう、じゃが御辺のことじゃ、何でわしが遠慮いたそうか。御辺は笑うが、笑うのは間違いじゃ。わしは福原の新都に上る、三日以上はかかるまい、院宣を頂くに一日は要る、もどるまで八日もあれば足りよう、御辺はわしの吉報を待つがよい」
まだ信じかねる心を抱きつづける頼朝を後に、文覚は奈古屋に帰った。弟子には人に隠れて伊豆山中に七日間参籠する、といい置いて直ちに新都に向った。福原に着いたのは三日後である。多少の縁があった前右兵衛督ぜんひょうえのかみ光能みつよしのもとに赴き、驚く光能に言った。
「拙僧がお尋ねしたのは外でもない。伊豆国の流人るにん頼朝はわしの見るところ、兵家の棟梁とうりょうたる人物、また天下の源氏を糾合きゅうごうするに足る材じゃ。もし勅勘を許され院宣を賜るならば、関東八カ国の兵を集めて、平家を亡ぼし、乱れた天下を鎮めよう。わしの頼みはこれじゃ、どうか引き受けて下され」
「御坊のお話は、よくわかりました。が、自分とて昔と違い、今は三官みなやめさせられて、無官の身でござる、苦しいところじゃ。法皇も押し込められておられるから、近づくのも容易ではない。御坊のたくらみも成功は覚束かぬと思うが、折角の頼みだし、法皇も御坊の趣旨にはご賛意があろうと思う、とにかく、できるだけのことはしてみよう」
光能は、そう言って法皇のところに行き、機会をとらえて秘かに奏上すると、果たして法皇は大きく動かされた。平家の強引な政策の重圧下にあった法皇にとって、これは重大な情報であった。孤立して何の手段も持たぬ法皇が、これに希望を託さぬなら、まったく囚人同様の月日をあるいは永久に送らねばならぬかも知れぬ。院宣を下した法皇にとってこれは大きな賭けだったが、相当確度の高い賭けには違いなかった。
やがて、院宣をしっかと首にかけた文覚は喜び勇んで伊豆へと下った。旅程は三日である。頼朝の前に現れた文覚は、首からはずした院宣を渡した。さしも沈静な頼朝の顔にも血が上った。実は頼朝は不安な日を送っていたのであった。文覚の余計な奔走が藪蛇やぶへびとなり、この上重い咎なぞ受けてはかなわぬと思っていた。また文覚のいう政治力も半信半疑であった。ここ一週間というもの、文覚の福原での行動が気にかかりつづけていた、どのような結果がもたらされるか、それは頼朝にもまったくわからなかった。だが、今彼の手にしているのは勅勘の許しであり、平家追討の院宣である。手が震えていたのを文覚はじっと見ていた。文覚が伊豆を後にしてから、彼の言葉のように丁度八日目の正午であった。
頼朝は新しい烏帽子えぼし浄衣じょうえをつけ身をきよめると、院宣を三度拝してから封を開いた。
「近年、平氏王威を蔑し軽んじ、仏法を破滅し王法を乱さんと欲す。それわが国は神国なり。宗廟相並んで、神德これ新なり。故に朝廷会開基の後、数千余歳の間、帝位を傾け、国家をあやぶまんと欲するもの、みな以て敗北せずということなし。しかればすなわち、かつは神道の冥助めいじょにまかせ、かつは勅旨の旨趣しゅしを守って、早く平民の一類を亡ぼして、朝家ちょうけ怨敵おんてきを退けよ。譜代相伝ふだいそうでんの兵略を継ぎ、類祖るいそ奉公の忠勤をぬきんでて、身を立てて家を興すべし。すなわち院宣かくの如し。よってくだんの如くお伝えする。
      治承四年七月十四日
          前右兵衛督光能承って謹上きんじょう
  前右兵衛佐殿へ」
院宣を両三度読み終わった頼朝は、大きく息を吐いた。流人の流人の生活は、彼の心の中で、今終りを告げたのである。彼の眉宇びうに決意がながれた。
頼朝はこの院宣を錦の袋に入れて身から離さなかった。石橋山の合戦の折もこの錦袋と共に戦ったという。
2024/02/11
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