~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅶ-Ⅲ』 ~ ~

== 現 代 語 訳『平 家 物 語 上』 ==

著 者:尾崎 士郎
発 行 所:株式会社 岩波書店
富 士 川 (一) ♪
福原には、頼朝謀叛の兵を起こす、との情報が絶え間なく流れ込んで来る。彼のもとに集まる源氏の兵力もその数を刻々増してゆく情勢である。公卿会議が急いで開かれ、敵の兵力が増さぬうちに一日も早く追手を、という意見が一致して採られ、大将軍に小松の権亮少将ごんのすけしょうしょう維盛これもり 、副将軍に薩摩守さつまのかみ忠度ただのりが命じられ、侍大将の上総守かずさのかみ忠清ただきよが先陣と決まる。瀬の勢合わせて三万余騎である。九月十八日が新都出発の日である。
大将軍の維盛は生年二十三、容姿淡麗な青年であったが、重代のきせなが唐革縅からかわおどしの鎧をかつがせ、自分は赤地の錦の直垂ひたたれ萌黄匂もえぎにおいの鎧を着込み、金覆輪きんぷくりん の鞍置いた連銭葦毛れんせんあしげに乗った姿は、絵にも筆にも及び難しと人々は賞めそやした。副将軍の薩摩守忠度は紺地の錦の直垂に、黒糸縅の鎧、たくましき黒馬に鋳懸地いかけじの鞍置いて打ちまたがった威風あたりを払う姿は、都でも大層な見物という評。
この忠度には、心やさしい話がある。彼はさる皇女から生まれた女房を恋してそこへ通っていたが、ある夜、訪ねて行くと、合憎、女の来客中であった。話がはずむのか客は帰らず、夜は空しく更けてゆく。客は高貴な女房であるから、忠度といえどもお帰り願う訳にはいかない。いらだった忠度は軒端近くにたたずみ、扇を手荒く使ってそれとなく意志を伝えようとしたが、一向にその効果はない。夜は、いよいよ更けて行く。軒端の忠度の扇がばたばた物すごい音を立てる。すると室内から優しいが外に洩れてきた。
「野もせにすだく虫の音よ」
この口ずさむ声に忠度は、おとなしく扇を収め、そのまま家にもどったのである。その後、女房のところに通った夜、
「いつかの夜、なぜ扇を使い止められたのですか」
と女房に問われた忠度は、
「かしがまし野もせにすだく虫の音よ、とおっしゃったでしょう。それで残念でしたが、淋しくひとり帰ったのですよ」
と言った。この女房は忠度出陣の噂を聞き、小袖一かさねを贈ったが、千里の旅の別れを惜しんで和歌一首を添えた。
東路あずまじの 草葉をわけん 袖よりも
    たたぬたもとの 露ぞこぼるる
忠度はすぐ歌を返した。
別れ路を 何かなげかん 越えてゆく
    関もむかしの 跡と思えば
この、関も昔の跡というのは、先祖平貞盛、俵藤太たわらのとうた秀郷ひでさと将門まさかど追討のために東国へ下ったことを思い出して詠んだものである。
さて、昔は朝敵を討ちに都から立つ将軍には節刀を賜うのが例であったが、こんどの頼朝追討には、讃岐守さぬきのかみ の正盛が、さきの対馬守つしまのかみ源義親みなもとのよしちか追討の例に従い、鈴だけが下賜され、皮の袋に入れて雑兵の首にかけさせた。昔、朝敵を討ちに行く将軍には三つの心得が必要とされた。第一に節刀を賜る日は家を忘れ、第二に都から出る日は妻子を忘れ、そして戦場ではわが身を忘れる。この三つであるが、このたびの征討の大将軍維盛も、副将軍の忠度も、恐らくこの心得を胸に刻んでいたであろう。武士の常とはいえ、哀れなことである。
2024/02/13
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