~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅶ-Ⅲ』 ~ ~

== 現 代 語 訳『平 家 物 語 上』 ==

著 者:尾崎 士郎
発 行 所:株式会社 岩波書店
めぐらし ぶみ  ♪
その頃、信濃国に」、木曽冠者きそのかんじゃ義仲よしなかという源氏の生き残りがあった。彼は、源為義の次男、帯刀先生たてわきせんのじょう義賢よしかたの子である。義賢は悪源太あくげんた義平太よしひらに殺されたが、そのとき義仲はわずか二歳の幼児で、母に伴われ、木曽中三きそのちゅうぞう兼遠かねとう の許で、二十余年間育てられた。長ずるに従い、ひときわ弓矢の道に優れた、たくましい侍になった。
彼はある日、育ての親の兼遠に向い、
「諸国の様子をおいろいろ聞くところによりますと、源家再興の好機は来たようじゃ、東国では、兵衛佐ひょうえのすけ頼朝よりとも、既に謀叛を起こしたと聞く。この義仲も、一日も早く平家を攻め落としたいと思う。そのあかつきには、日本国に二人の将軍といわれることにもなろう」
「まことに頼もし気なお言葉、兼遠、これまでお育て申した甲斐がありました。世評の通り、八幡太郎義家公の再来のような気がいたします」
と、兼遠は、涙を流して喜んだ。
義仲は十三歳で元服したが、そのとき石清水八幡宮の社前にぬかずいて、
「四代の祖父、義家公は、八幡様の御子と名乗り、八幡太郎という名を頂きましたが、私もそれにならいたいと思います」
と社前でもとどりをあげ、木曽次郎義仲と名乗った。
前々から義仲は、兼遠に連れられて、よく都にのぼり、平家の様子などを伺っていたが、頃はよしと、廻し状を信濃の国の周辺に住む源氏の縁者にふれ廻した。
根井いのい小弥田、滋野行親始め、上野国からは田子たごこおりの兵などがはせ集まって、義仲の謀叛に参加することを約束した。
ここに木曽義仲は、いさぎよく平家打倒の旗を掲げたのである。
2024/02/28
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