~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅶ-Ⅲ』 ~ ~

== 現 代 語 訳『平 家 物 語 上』 ==

著 者:尾崎 士郎
発 行 所:株式会社 岩波書店
飛 脚 到 来  ♪
木曽義仲謀叛の知らせを聞いて、平家の一族は動揺した。東国の情勢不穏から、今また、北国も危しとあっては気が気ではない。しかし清盛だけは、自信満々であった。
「何、木曽の山猿ごときが謀叛を起こすとは笑止千万、越後には、城太郎じょうのたろう助長すけなが、四郎助茂すけもちといった一騎当千のつわものが控えておるわ、謀叛謀叛と騒ぐこともあるまい」
しかし、一族の中には眉をひそめて、どうなることかと不安に思う者も少なくはなかった。
兵乱鎮圧のため、写経の行なわれたのは二月の七日である。それから一日置いて二月の九日、河内国石河郡いしかわのこおりに住む武蔵権守むさしのごんのかみ入道義基にゅうどうよしもと、同じく義兼よしかねの親子が、頼朝の軍勢に加わるために、東国へ気だろうとした矢先、平家方に嗅ぎつけられ、三千余騎という大軍に囲まれて、義基は討死、義兼は捕らえられた。
続いて十二日、九州より飛脚があって、九州の情勢を報告して来た。それは平家のとって思わしくない知らせであった。
かねがね平家に服従の様子を見せていた、緒方おがた三郎をはじめとして、臼杵うすき戸次へつぎ松浦まつら党といった面々が、東国源氏に加わったというのである。
越えて十六日には、四国の動静を知らせる飛脚が着いた。そてによると、四国一円はほとんど源氏の味方だということで、ひとり平家に忠誠をみせた備後国びんごのくにぬかの入道西寂さいじゃくが、源氏に心を寄せた河野四郎こうののしろう通清みちきよを討ち取ったばかりに、伜の通信みちのぶから手痛い報復を受けて殺されたという。又、かねがね平家にゆかり深い熊野別当くまののべっとう湛増たんぞうなぞも、平家への恩を投げうって源氏に味方してしまった。京にいる平家一族の耳に入るのは、今日きょうはどこの源氏が蜂起した、昨日きのうは誰それが源氏に味方したというような報せばかりである。西を向いても、東を見ても、世はまさに動乱の前夜にふさわしい様相を示しているのである。
二月二十三日、公卿会議が開かれると、前右大将宗盛が進み出て言った。
「このたび、東国に討手を差し向けましたが、成果ははかばかしくござりませぬ。ついては、この宗盛、このたび征夷大将軍を承って、東国の乱兵を鎮めたいと思いまするが」
と言った。もとより異論のあろうはずはない。
「大層結構なことで」
「ご苦労なことでござります」
公卿たちは、自分の身に直接関りのないことなので口々に勝手な追従ついしょうを言っていた。やがて、宗盛を大将軍として、東国北国の凶徒追討という院宣が下った。
2024/02/29
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