~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅶ-Ⅲ』 ~ ~

== 現 代 語 訳『平 家 物 語 上』 ==

著 者:尾崎 士郎
発 行 所:株式会社 岩波書店
入 道 死 去  ♪
宗盛が東国へ出発するという日である。清盛の健康状態が突然悪化し、それがために出発は一時中止となった。
翌くる日、容態は更に急変し、重病の様子を帯びてきた。「そらみたことか、悪業のたたりじゃ」と、京都の街は、その噂でもちきりであった。
清盛は、病気の始まった日から、一滴の水も咽喉のどへ通らなかった。身体じゅうは、火を噴いたように熱かった。側近の者は病床に四、五間近づいただけで、耐え難い熱さにうたれた。清盛は意識不明で、唯、「あつい、あつい」とうわ言をいうばかりである。
比叡山から冷たい清水を汲んで来て、水風呂をつくり、それに入れると、水はたちまち湯に変った。少しは楽になるかとかけひの水をかけると、焼けた石や鉄のように水がはね反ってじゅうじゅうと音をたてる。たまたま清盛の身体にあった水は、炎になって燃えあがり、黒煙が邸中に充満するという有様で、さながら焦熱地獄であった。
この、どさくさの中で清盛の北の方二位殿がこんな夢を見た。猛火に包まれて燃えている車が邸内に入って来たのである。前後のお供は、馬の顔をしたのや、牛の顔をした者ばかりで、車の前には、無という字の書いた鉄のふだが打ちつけてあった。
「その車はどこから」
二位殿が、そう言って尋ねると、
閻魔えんまの使いで清盛入道のお迎えに参じました」
という。
「その札は」
と聞くと、
「数々の悪業により、無間むげん地獄に落とすつもりで、無間と書くはずでしたが、間の字を書き忘れたままで」
という返事であった。
夢から覚めた二位殿は、逢う人ごとにこの話をしたが、誰もが薄気味の悪さに、身の毛のよだつ思いであったb。
ありとあらゆる財宝を投げうって、あらゆる神社仏閣へ病気平癒のお祈りをしたが効果はなかった。
二位殿は熱さをこらえて、枕元に、にじり寄り、
「お気の確かなうちに、何かいいおくことがおありでしたら何なりと仰せ下さい」
と言った。さすがに日頃、傲慢不遜の清盛も、病気には勝てない。苦し気な息の下から、彼は弱々しいん声で、
「保元平治の乱以来、たびたびの合戦に殊勲を立て、太政大臣に昇り、帝の御外戚にまでなることが出来、思い残すことはないが、唯一つ、伊豆の流人るにん頼朝の首を挙げなかったことだけが心残りだ。墓も要らぬ、供養もいらぬ、唯一つ、頼朝の首をはねて、わが霊前に供えてくれ}
と、激しい調子で言った。
清盛の死んだのはうるう二月四日だった。その最後はあまりにも無慚むざんなものでありすぎた。
板に水を流したところを、あっちへごろごろ、こっちへごろごろしながら、熱い熱いと、わめき叫びつつ、ついに板の上をのたうちまわって最後の息を引取った。時に六十四歳、栄華を極めた人にしては、あまりにも哀れな死に様である。
同じく七日、火葬にして、骨を円実法眼えんじつほうげんが首にかけ、摂津国きょうしまにおさめた。
2024/03/02
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