~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅶ-Ⅲ』 ~ ~

== 現 代 語 訳『平 家 物 語 上』 ==

著 者:尾崎 士郎
発 行 所:株式会社 岩波書店
経 の 島  ♪
清盛の葬儀の夜、いろいろ思いがけないことが起こった。先ず第一に、豪華壮麗を誇っていた西八条の邸が火事で焼けてしまった。これは、またく突然の出来事、出火の原因もはっきりせず、放火だという声もちらほら聞かれた。
また同じ晩、二、三十人ほどの人の声で、「嬉しや水、鳴るは滝の水」と歌いさざめく声がした。よりによってこんな晩に、踊り騒ぐなどとは、気の確かな者のすることではない、あるいは天狗てんぐのたぐいではないかと、血気にはやった若侍が百余人声をたよりにしらべてみると、かつての院の御所であった法住寺殿の中から聞えて来る。ここはこの二、三年、院のお渡りもなく、備前前司ぜんじ基宗という者が留守居をしていた。この法隆寺殿の中では、時ならぬ酒盛が始まっていたのである。
基宗の知合いが、二人三人と集まっていつか酒を飲み始めた。時が時だから、静かに飲もうと戒め合っていたのに、いつか酒が廻るにつれて、ついうっかり大声で拍子をとり、舞まで踊り始める者も出る始末になった。怪しい歌声と思ったのは実はこの酔っ払いどもの騒ぎ合う声だったのである。「時節柄、不届きな奴」というわけで、三十人ばかり皆ひっくくられて六波羅へ連れて行かれたが、酔っ払いでは致し方ないというので、無罪放免された。
清盛の骨をおさめた経の島は、応保おうほう元年二月につくられたものであるが、一度、大風のために崩れ去ったので、同三年三月再工事にかかった。その際、人柱を立てようという意見のあったのを、かえって罪なことだと、石の面に一切経を書いて、その代わりとした。そのため経の島と名づけられたが、この島のお陰で、その後、通行の船舶の安全がどてほど、保護されたかわからぬ。清盛とても決して悪行ばかり重ねていたわけではないのである。
2024/03/02
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