~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅶ-Ⅲ』 ~ ~

== 現 代 語 訳『平 家 物 語 上』 ==

著 者:尾崎 士郎
発 行 所:株式会社 岩波書店
おん の 女 御  ♪
鳥羽天皇の時代の事である。東山のふもと祇園のほとりに、祇園の女御と呼ばれる美しい女性が住んでいた。白河院の想われびとで、時々院の御幸があった。
ある日、白河院が少数のお供を連れ、例の通りお忍びでおいでになる途中、その晩は、暗い上に雨まで降ってきて、一寸先も定かならぬ闇夜sであったが、祇園女御の邸の近くの御堂のほとりで怪しい者に出逢った。頭はしろがねの針を磨いたようにきらきらと光り、片手には槌のような形のものを持ち、もう一方の手は、これ又何やら光るものを持っていた。
「あれこそ、噂に聞いた鬼と申すもの、手に持っているのは、打出の小槌に違いない」
一同おそるおそる顔を見合わせて騒いでいた。その頃から武名の誉の高かった忠盛は、まだ北面の下級武士であったが、直ぐ御前に呼び出され、怪物退治を命ぜられることになった。忠盛は、近づいてよくよく怪物の正体を見ると、そう大して強そうにも思われなかった。
「せいぜいきつねかたぬきといったところだろう。これを射殺したりしては、あとで後悔するかも知れぬ、先ず生捕ってみよう」
こわい者知らずの忠盛は、ずかずかと側に近づいた。怪しい正体は、しばらくするとパッと光っては、また、しばらくしてパッと光った。忠盛が力にまかせて組付くと、とたんに、
「何をなさる?」
と声がかかった。魔性ましょうの者と思いの外、それは、まぎれもなく人間だった。
あかりをともしてよくよく見ると、六十近い老僧で、話を聞けば、この御堂に仕えるものであった。仏前にあかりを付けようと、柄のついた瓶に油を入れ、片手の土器に火を入れ、雨が降って来たので、ぬれないよういに、頭には麦藁むぎわらの端を結んで笠のようにしたものをかぶっていたのが、土器に入れた火に、この麦藁が、銀針に見えたのである。
「それにしても、殺したりなどしなくてよかった。思慮深い忠盛だったから、人の命を傷つけずに済んだのだ。何と感心な奴だろう」
白河院はにどく感心され、ほうびにご寵愛の深かった祇園の女御を忠盛に賜ったのである。
祇園の女御は、忠盛のところへ来た時、既に身重であった。
「生まれた子が女であったら朕の子に、男なら、そちの子にせい」
院はそう仰有おっしゃっていたが、生まれたは男であった。忠盛は、このことを奏上する機会を待っていたが、熊野行幸のとき、途中いとが(糸鹿)坂というところで休息することになった。忠盛は、袖に途中で取った山芋の子を入れると、すぐ御前に伺候した。
(妹)が子は はう程にこそ なりにけれ
と忠盛が奏上すると、院も直ぐさま気づかれたらしい
ただもり(忠盛)と とりてやしないにせよ
と即座にお返事を下さった。また、この男の子が、夜泣きのくせがあって困るという話を聞かれて、一首の歌をお詠みになった
よなきすと ただもり(忠盛)たてよ 末の世に
    きよく(清)さか(盛)うる こともこそあれ
このお歌から清盛と名づけられたのである。十二歳で兵衛佐ひょうえのすけ、十八歳で四位兵衛佐となったが、何も知らぬ人が、
「華族ならばともかく、成り上がり者のくせに」
というのを聞かれた鳥羽院が、
「清盛は、華族同様の者じゃ」
と仰ったことがあった。
清盛が、白河院の御子という説の伝わっている所以ゆえんである。
2024/03/05
Next