~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅶ-Ⅳ』 ~ ~

 
== 『 燃 え よ 劍 ・下』 ==
著 者:司馬 遼太郎
発 行 所:㈱ 新  潮  社
 
 
 
 
 
二条中洲なかす の決闘 (三)
歳三の背後は、瀬。
中洲には、たてにとるべき一本のもない。
(今夜が最後か)
むろん、いつの喧嘩の時も、そう覚悟している。命はない、と思い込んで打ちかかる以外に、喧嘩に勝つ手はない。
七里の剣は、二尺七寸はあるだろう。
剣は天に伸びながら、景は下へ、足下へ、地へ沈んでいる。敵ながら、みごとな備えであった。
七里は、間合をつめている。抜きつれた七里の仲間も、平押ひらおしに押してくる。
歳三を瀬のきわに押しつめようとするのだろう。
「おい」
七里は笑った。
武州ではだいぶ煮湯にえゆを呑ませてくれたが、どうやら、今夜が縁の切れ目らしい」
「───」
歳三はむっつり黙っている。相手はじりじりと押して来るが、歳三は半歩もひかず、間合の一方的に詰まって来るがままにまかせている。よほどの度胸がなければこうはいかない。
相変わらず、平星眼。
「土方、お前がいなくなれば、京は静かになるだろう」
「よくしゃべる」
歳三は言ったつもりだが、さすがに声がかすれていた。汗が、ほおへ流れた。
七里。──
そのままの上段。
すでに武州以来数度の撃ち合いで、歳三の剣の癖を知りぬいていた。俊三という男には、小技こわざで仕掛けるといい。それも左籠手。癖で、あいている。
「────」
七里は、気合で、誘った。
俊三は動かず。
七里は踏み込んだ。
飛び上がった。
上段から、電光のように俊三の左籠手に向かて撃ちおろした。
が、その前、一瞬。
歳三はツカをにぎる両拳りょうこぶしを近よせ、刀をキラリと左斜めに返し、同時に体を右にひらいた。むろん、眼にことまらぬはやさである。

と火花が散ったのは、和泉守兼定の裏鎬うらしのぎで落下した七里の太刀に応じたのだ。七里の太刀がはねあがった。体が、くずれた。
そのとき歳三の和泉守兼定が中空ちゅうくうで大きく孤をえがき、七里研之助の真向まっこう、ひたいからあごにかけ、真二つに斬りさげていた。
死体が崩れるよりもはやく、歳三の体は前へ三間とんでいた。
一人の胴。
さらに一人の右袈裟みぎけさ
歳三は、前へ前へと飛んだ。
板橋へ。
板橋の橋上で左右をまもる以外、自分をこの死地から救い出す手はなかった。
2024/03/09
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