~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅶ-Ⅳ』 ~ ~

 
== 『 燃 え よ 劍 ・下』 ==
著 者:司馬 遼太郎
発 行 所:㈱ 新  潮  社
 
 
 
 
 
二条中洲なかす の決闘 (四)
与兵衛親爺が、花昌町の屯所に駈け込んで、門番に訴えた。
門番は、一番隊組長沖田総司に急報した。
じつのところ、沖田は、市中巡察から帰ったあと、例によって体が熱っぽく、袴もぬがずにせていたのだが、跳ね起きた。
「一番隊、私につづいて頂きます。行く先は二条河原」
もう庭の厩舎うまやへ飛び込んでいた。
隊には数頭の馬を飼っているが、近藤の乗馬が二頭ある。そのうちの白馬は会津侯からの拝領もので、逸物いつもつとされていた。
「開門、開門」
と叫びながら沖田は、くらを置き、大急ぎで腹帯を締めた。むろん無断借用である。
鞍上あんじょうに身を置くや、だっ、と八の字に開門した正門からおどり出た。
路上は、明るい。
堀川をまっすぐに北上し、二条通のつじで東へまがったときに両袖りょうそでたすき・・・でしぼりあげ、西洞院にしのとういん釜座かまんざ、新町、衣棚ころものたなまで来た時、汗どめの鉢巻はちまき をしめた。

歳三は、やっと板橋の東のはしにまで、体を移動した。
が、相手も心得ている。背後の板橋の橋上にふたり、前の中洲に三人。
りすぐりの連中らしく、手ごわい。おっそろしく腕が立つうえに、一歩も退かない。
歳三は背をひるがえすや、ひるがえした勢いで片手なぐりに橋上の敵を斬った。胴ににぶい音がしたが、斬れない。刀身に、あぶらがまわったのだろう。
すばやく、刀をおさめた。
そのしきを撃ちかかった中洲の敵が、ひらききった胴の姿勢のまま、血煙をたてて流れへ落ち込んだ。
歳三は、堀川国広を抜いている。
乱闘のときの心得で、長さ二尺にちかい大脇差を選んである。
が、もはや、面撃ちはきかない。小太刀で面へ飛び込むのは、冒険すぎるだろう。
中洲側の一人が、橋上に踏み込み、二つ三つ踏み鳴らしつつ、だっと突いてきた。
歳三は、半歩さがって、きら、と刀を左肩にかついだ。
相手は、意外な構えに動揺した。瞬間、歳三は飛び込んで、右籠手を斬り落とした。
その時である。沖田総司の馬が堤上に跳ね上がったのは。
鞍から跳び下りて馬を放し、堤を駈け下りながら、
「土方さん」
と、この若者にはめずらしく甲高かんだかい叫び声をあげた。
「────」
歳三は、応答出来ない。小太刀のためにどうしても、受けが多くなっている。
沖田は橋上に駈け込むや、歳三の背後の男を、水もたまらず斬っておとした。
「総司か」
やっと、声が出た。
「総司ですよ」
沖田は歳三の横をすり通りつつ、歳三の前の敵へ、あざやかな片手突きをれた。
声も立てず、相手は倒れた。
あとは、逃げ散っている。
「何人居ました」
沖田はあたりを見まわしながら、刀をおさめた。
「数える間もなかった。今夜だけはおれもだいぶ、うろたえたらしい」
「斬ったなあ」
沖田は、中洲を歩きながら、死体を数えている。
一人、沖田の足もとで、びくっと動いた。
歳三は、はっとしたが、沖田はべつに警戒もせず、その男のそばにかがみ込んだ。
「あんた、まだ息がありますね」
道端で立話するような、ゆっくりした声調子である。
「傷はどんなぐあいです」
沖田はふところから蝋燭ろうそくを取り出し、燈石いしを打ってあかりをつけた。
左肩に、傷口がある。が、歳三の刀に脂が巻いていたらしく、深くはない。打撃で気をうしなっていたのだろう。
「これァ、助かる。──」
男の片肌かたはだをむき、血止め薬をつけ、そばの死体の袴を裂いて、傷口をしばった。
さおのまま草の上にかせ、医者を呼んで来るつもりか、板橋を西へ渡って行った。
歳三は、中洲の上に寝ころんでいる。ひどい疲労で、立っていられなかったのだ。
(物好きなやつだ)
と沖田を思った。
(あいつは病い持ちだから、ついいたわり・・・・が出るのだろう)
寝返ってうつぶせになえり、瀬の水へ顔をつけた。水を呑んだ。
顔の中を、水が過ぎて行く。ふと生き返ったような気がして、顔をあげた。
怪我人けがにんが、言った。
「済まない」
かすかな声である。
(おらァ、知らねえよ)
歳三は、薄情なものだ。いずれ、自分もこの身になるのだ。なる、どころか、たった先刻、運が悪ければ、この男の立場になっている。七里らは、介抱するどころか、とどめを刺すだろう。
首を打つ。
どこかに捨て札をして、梟首さらしくびにするにちがいない。
(おらァ知らねえぜ)
はらの中でつぶやきつつ、その怪我人のそばににじり寄っている。
歳三は、夜目がきく。
男は、目をあけていた。意外に生気があることがわかった。
「おれは、土方歳三だよ」
男は、うなずいた。
「馬鹿な奴だなあ。お前を斬った土方歳三だぞ、手当をしてくれたのは、沖田、というおれの同僚なかまだ。おれに礼をいうことはない」
「土方さん」
男は、夜空を見つめたまま、言った。
「あなたは噂通りだった。強い。七里が、なに大根さ、といったから私も加わったのだが、誘いに来た時、あのまま情婦おんなの家におればよかった」
「情婦てな、なんて名かね」
歳三は、なにげなく聞いた。
「お佐絵さ」
(えっ)
歳三は、息をとめた。
「心が氷のようにつめてえ女だが、おれァ、忘れられない。土方さん」
「うむ?」
「私は、たすかるかね。いや助かったところで、あんたはあらためて殺すだろう。その前に、あいつにいたい」
「もう、喧嘩は済んだ。怪我人を殺したところで、なんのえきもない。いま、沖田が医者を呼びに行っている」
「あつ」
起き上がろうとした。嬉しかったのだろう。
この男は、越後浪人で笠間喜十郎。沖田が親切に医者の手当てを受けさせたが、傷口がんで、十日目に二条御幸町ごこうまちの医者の家で死んだ。
死ぬ前に、
「差しがねは、新選組参謀伊東甲子太郎かしたろうだ」
と、告白した。
伊東への疑いは、決定的なものになった。
2024/03/09
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