~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅶ-Ⅳ』 ~ ~

 
== 『 燃 え よ 劍 ・下』 ==
著 者:司馬 遼太郎
発 行 所:㈱ 新  潮  社
 
 
 
 
 
菊 章 旗 (一)
その日。──
というのは、この年(慶応二年)九月二十六日の朝のことだが、花昌町屯営の廊下を歳三が歩いていた時、参謀の伊東甲子太郎とすれちがった。
「やあ」
伊東は、いつもよりばかに愛想がいい。
名古屋から帰って来て、数日になる。
「すっかり」
伊東は、軒の向うの空を見上げて、
「晴れましたな」
と言った。
「左様」
歳三はにがい顔である。二条河原で七里研之助らの刺客を差し向けたのはこの伊東であることは、すでに証拠があがっている。
が、歳三は近藤以外には秘していた。
隊中の動揺がこわかったのである。
「豊玉宗匠」
と、伊東は、雅号で歳三を呼んだ。たれから聞いたのだろう。
「句にはいい季節ですな。ちかごろ、そのほうはいかがです」
「いや、駄句だくばかりです」
「私のほうは歌ですが、昨夜、一穂いっすいに対座していると、思いがつのってきて、一首できました、聞いていただけますか」
「どうぞ」
伊東甲子太郎は、欄干に寄りかかり、半顔を庭に向けた。多少の道中焼けはしているが相変わらず秀麗な面持おももちである。
身をくだき 心つくして 黒髪の 
   みだれかかりし 世をいかにせむ 
「いかがです」
「なるほど」
歳三、表情を変えない。黒髪のごとくみだれた世をどうまとめましょう、という伊東の志士らしい苦心はまあわかるとして、「いかにせむ」という策のなかに自分を殺すことも入っているにだろう。あまりうれしい歌ではない。
「もう、土方さん、高雄(紅葉の名所)嵐峡らんきょうは、色づいているでしょう」
「でしょうな」
「一度、いかがです。隊務から離れて洛外らくがいへ吟行に出られては ──。私もお供します」
「結構ですな」
近藤先生もたまには御清遊なさるといい。いつにします」
「さあ、それもいいが」
それもいい。高雄も嵐峡もいいが、しかし行って見ると、とんでもない伏兵がいて、紅葉狩りどころの騒ぎではなくなるのではないか。
「考えておきます」
行きかけると、
「あ、そうそう、土方さん」
と、その背中へ、伊東が思い出したように声をかけた。
「今夜、おひまですか」
「吟行ですか」
「いや、左様な風流韻事いんじではない。折入って御相談申し上げたいことがある」
(来たな)
歳三は思った。
「何の御相談です」
「それはその時申し上げます。いまから近藤先生にも申し上げに行きます。場所はできれば遊里でないほうがいい」
「興正寺下屋敷にしますか」
近藤の休息所である。大坂新町の遊女深雪大夫みゆきだゆう落籍ひか せてかこってある。
「結構です。時刻は、何字なんじがよろしい」
「左様」
歳三は、たもと時計を取り出した。最近手に入れたフランス製のもので、歳三の大きな掌の上でちゃんと針が動いている。
「五字がよろしいでしょう」
ちょっと微笑をした。べつに伊東の申し出が嬉しいのではなく、時計を見るのが嬉しかったのだろう。
伊東は、不快な顔をした。
これも土方が不快だというより、極端な攘夷じょうい論者の伊東は、その洋夷の時計が見るのもけがらわしい、と思ったのである。
2024/03/10
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