~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅶ-Ⅳ』 ~ ~

 
== 『 燃 え よ 劍 ・下』 ==
著 者:司馬 遼太郎
発 行 所:㈱ 新  潮  社
 
 
 
 
 
菊 章 旗 (二)
歳三は、定刻より一時間早く、近藤の屋敷へ行った。
近藤は、二条城から下城して、屯営には寄らず、そのまま帰っている。
「歳、なんの話だろう」
「脱盟だね、いよいよ云い出すのさ」
と、坐った。
近藤のめかけが、茶を運んで来た。
上方かみがたにはざらにある容姿かおかたちで、色白でまゆ がうすく、しもぶくれの前歯の大きな女である。そこが東国人の近藤の気に入ったものだろうが、歳三は、こんな女は好きではない。
(江戸の女は、浅黒くて、猪首いくびで、そばっかすがあったりするが、もっときりっとしているよ)
例のお雪を、ふと思った。
「おいでやす」
ゆっくりと頭をさげた。べとべとした女臭い声で、こういう声も、どうもやりきれない。
妾が、ひっこんだ。
「おれは信じられんな、伊東とは武士として約束を交してある。離党ということはあるまい」
「何だか知らないが、おれァ、られかかったんだぜ」
「聞いた」
近藤の表情はえない。七里研之助の一件に、伊東がつながっていることは、さすがに信じかねているのだろう。
やがて、本願寺の太鼓が聞えて来た。五時である。
玄関で、人の声がした。
「おい、多数だよ」
近藤は気配を察して言った。
「そのようだな」
「まさか歳、ここでわれわれを斬り伏せるつもりではあるまい」
「斬り伏せられるあんたか」
「あははは、そのとおりだ。近藤、土方が、やみやみ斬り伏せられる手合いではに」
─── 御免。
と伊東甲子郎がふすまを開けた。
つづく者は、篠原泰之進。
それだけかと思うと、伊東の実弟の九番隊組長鈴木三樹三郎みきさぶろう、監察の新井忠雄、この男は剣を取れば新選組屈指の腕である。
つづいて伍長ごちょうの加納鵰雄わしお、監察の毛内もうない有之介(監物けんもつ)、伍長の富山弥兵衛。
「これだけかね」
と近藤が言った時、最後に意外な人物が入って来た。
八番隊組長藤堂平助である。
(あ、こいつもか)
近藤と歳三の表情に、同時に同じかげが走った。
藤堂は好漢を絵に描いたような男で、近藤、土方とも、身内のように愛していた。
げんに、江戸結盟以来の同志である。藤堂は流儀こそ千葉門の北辰ほくしん一刀流だが、近藤の道場に早くから遊びに来ていた。
そもそものはじめ、── つまり幕府が浪人を募集しているということを聞き込んで来て応募を近藤にすすめたのも、死んだ山南やまなみ敬助とこの藤堂平助である。
考えてみれば、どちらも北辰一刀流同門であった。
いや、伊東甲子太郎も、
(なるほ、同門意識というものは、ここまで強いものか)
と、歳三は思った。
むろん藤堂平助は平助でかねて思っていたのであろ。新選組の中核は、近藤、土方、沖田、井上(源三郎)といった天然理心流の同流同郷の者が気脈を通じ合い、他の者に対しては、どこか他人であった。これが同志といえるか。
(ばかにしてやがる)
藤堂公のおとだねという伝説のある江戸っ子の平助には、その野暮ったさがやきれなかった。
早くから、同門の先輩の山南敬助にこぼしていた。山南も同感であった。
(所詮しょせん、生死は共に出来ない)
と、山南などは言っていた。もともと山南は勤王心がつよく、幕府には多分に批判的であった。
これは千葉の門の塾風じゅくふうで、藤堂平助もそのはある。山南の感化によっていっそうつよくなり、江戸で塾の先輩の伊東甲子太郎を勧誘して加盟させたのも、藤堂平助である。
そのときすでに今日の密約はあった。ただ途中、山南の脱走・切腹によって一頓挫とんざしただけのことである。あの時、山南が無事江戸へ帰ったとすれば、江戸で同志を集め、東西呼応して伊東のもとに強力な新団体をつくったであろう。
近藤、歳三は、藤堂平助という若者を見誤った。
平助は武士とも、江戸の深川の木場などで木遣きやりをうたっているほうがふさわしいいなせ・・・なところがあっ。
だから、たれからも好かれた。
まさか、この部屋で伊東とならんで坐るほどの思想家・・・とは思わなかった。というより、これほどの策謀の出来る男だとは思わなかったのが、油断であったろう。
2024/03/10
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