~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅶ-Ⅳ』 ~ ~

 
== 『 燃 え よ 劍 ・下』 ==
著 者:司馬 遼太郎
発 行 所:㈱ 新  潮  社
 
 
 
 
 
お 雪 と (二)
これが医者に惜しいような豪傑なんだが、かみなり・・・・が嫌いでね。鳴り出すとあわてて茶碗ちゃわんで大酒を呑み、そのままぐうぐう寝てしまうというひとですよ。下染屋村の人は、雷より良循さんのいびきのほうが大きい、と笑っていた」
「為三郎兄さまtぽいい、その方といい、みな詩才がおありなんですね。むろん、土方様も」
「上段じゃない」
歳三は、正直、赤い顔をした。自分の下手な俳句を持出されるのは、この男はいつも苦手である。
「みな、できそこないですよ。詩藻しそうとぼしく詩才まずしいくせに、血気だけがある。詩を言葉であらわさずに、自分の奇矯ききょうな行動であらわそうとする」
「それも詩人です。たった一つの命でたった一つの詩を書いていらっしゃるんですもの」
「京に集まっている浪士というのいは、大かたそんなものだろうな」
「新選組も?」
「まあ、そうでしょう。私にはよくいわからないが」
「参謀の伊東甲子太郎様らが、隊士をたくさん連れて、天朝様の御親兵におなりあそばしたそうでございますね」
「とくご存知だ」
「でも、市中で持ちきりの噂ですもの。── それに」
お雪は、針をとめて、
「土方様は、ご出世あそばした」
と小さく言った。
「幕臣のことかね」
背中で言った。やや不機嫌ふきげんそうであった。
時勢のなりゆきで、左右旗幟きしを鮮明にするために新選組一同、幕臣に取り立てられることをうべなった。
それが正式に沙汰さたされたのは、ほんの先日のことである。慶応三年六月十日。
局長の近藤勇は、大御番組頭取おおごばんぐみとうどり
むろん、旗本としても相当な顕職で、近藤は将軍の親衛隊の総長といった格、歳三は親衛隊長、といったふうに理解していい。
新選組の助勤(士官)は、いちように大御番組にの取り立てられた。助勤なみの監察はそれぞれ大御番並。平隊士は御目得以下の処遇だが、それでも、世が世ならば、諸藩の藩士を「陪審またもの」として見下していた天下の直参である。
「べつにかわったこともないさ」
歳三は縁先からわずかに身を引きながら言った。
どうやら風の向きが変ったらしく、雨が、軒を冒してしきりとしぬきこんでくる。
「この雨じゃ、鴨川も大変だろう。さっき荒神口の橋板が流れた、と聞いたが」
「御時世も大変」
お雪は妙に、今日はそんな話題を選びたがるようである。やはり歳三の身が、まざまざと気がかりなのだろう。
伊東の分離で、
新選組は、幕府の親兵。
御陵衛士は、天朝の親兵。
と、旗幟が明らかになった。
というより伊東の御陵衛士は、薩摩藩の陽平雇兵といってよかった。薩摩藩では、一朝、京で兵をあげる場合の遊撃隊として伊東一派を考えていたのであろう。
ちなみに、藩兵をおく諸藩のうち、新選組近藤派が陣借りをしている会津藩とこれに対する薩摩藩が、ずばぬけて多数の兵力を擁していた。
薩摩藩としては、会津藩の遊撃隊が新選組であるように、自藩でも同様のものを持ちたかったのであろう。
いわば、伊東一派は、薩摩藩新選組といってよかった。
高台寺月真院に本陣を構えた伊東一派の給与は、薩摩藩邸の賄方まかないがた、食料方、小荷駄方こにだがた(兵站部)から出ていた。伊東一派を引き入れたのは、かねて伊東と親交のあった薩摩藩士の大久保一蔵(利通としみち)、中村半次郎(桐野利秋)であった。彼等は伊東一派をひどく優遇し、たとえば食事も、一日一人八百文という贅沢なものであった。
2024/03/12
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