~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅶ-Ⅳ』 ~ ~

 
== 『 燃 え よ 劍 ・下』 ==
著 者:司馬 遼太郎
発 行 所:㈱ 新  潮  社
 
 
 
 
 
江 戸 日 記 (三)
日野の佐藤家に残っている話では、この江戸滞留中、一度だけ、歳三は、生家と佐藤家、その他を訪ねた。
あんぼつ駕籠・・・・・・という、当寺身分のある武家でなければ乗れなかった駕籠でやって来たらしい。
日野宿近辺では、評判があまりよくなかった。
が高くなりゃがった」
と言うのである。
義兄の佐藤彦五郎までが、
「歳、お前、いまは殿様かもしれねえが、昔を忘れちゃいけないよ」
と、遠まわしにたしなめた。
「おなじ歳さ」
と、歳三は、笑いもせずに言った。
歳三はむかし、この近郷では不愛想で通った男であった。その地金はいまも、おなじだ、と言ったのである。
「しかし歳、せっかく故郷ににしきをかざったんだ。みんな、お前と勇が、三多摩きっての出世頭だと喜んでいる。みんなにそういう気持の下地があるんだから、ちゃんとこたえてやらなくちゃいけないよ」
「ふむ?」
にがい顔で言った。
「どうすりゃ、いいんだ」
「すこしは、笑顔を見せろ、笑顔を。この辺の連中は素直だから、ああ、偉くなる人はちがったものだ、頭がひくい、ともんなが喜ぶ。それとも、そんなにお前、笑顔が惜しいかね」
「惜しかねえが」
歳三は、わからない。
可笑おかしくもないのに笑えねえよ」
そのくせ、妙にこまごまと気のつく優しいところがあったという。
石田在の生家に」、めいで、ぬい・・という娘がいた。
歳三が京へ発った当時にはまだ幼かったが、その後江戸の大名屋敷に行儀見習に行っていた。
ほどなく隣家へ嫁したが、病身のために不縁になって出戻っていっる、という噂を歳三も京で聞いていた。
このぬい・・にだけには、いつの間に買いととのえたのか、京の櫛笄くしこいうがい、絵草紙などをみやげに持って来てやっている。
「歳も、存外なところがあるものだ」
と盲兄の為三郎が感心した。
ほかに、縁談があった。
姉のおのぶ(佐藤彦五郎妻)がもってきたもので、盲兄の為三郎も、しつこいほど勧めた。
「その娘、おれァ知ってるんだが、きれいな娘だよ。目あきならともかく、目の見えないのがそう言うんだからこれほどたしかなことはなかろう」
戸塚村の娘である。
土方家とは遠縁に当たる家、村でもたいそうな物持ちだが、先代の道楽で、三味線屋もかねている。
「ああ、あの家か」
と、歳三もうろ覚えにおぼえていた。屋敷には冠木門かぶきもん楓垣根かえでがきねがまわしてあり、街道筋に面した一角だけは、「店」と称して小格子こごうしづくりにしてある。
そこで、。三味線を売っていた。
「お琴さんだろう」
歳三は、破笑わらった。
このくだりで、はじめて笑ったらしい。
お琴は、戸塚かいわいでもきっての美人だし、なによりも三味線がうまかった。歳三が京へ発へ発つころ、十五、六だったから、もう二十はすぎているだろう。
「歳、お前、気があるな」
盲兄が首をかしげた。気配で、ひとの気持がわかるらしい。
もらうこった。お前はこの家の末っ子だが、指を折ってみるともう三十三になる。男としてもとうとうが立っている」
「立ちすぎている。三十三にもなってやもめ・・・というのは、もうだめだね。女房だなんえことで女にべったり四六時中くっつかれちゃ、おお、と身ぶるいがする。それに、ただの武士なら禄を食らってひまをつぶしているだけでいいが、おれには仕事がある」
「なんの仕事がある」
「新選組さ」
この縁談はなしは、それっきりになった。
2024/03/18
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