~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅶ-Ⅳ』 ~ ~

 
== 『 燃 え よ 劍 ・下』 ==
著 者:司馬 遼太郎
発 行 所:㈱ 新  潮  社
 
 
 
 
 
江 戸 日 記 (四)
歳三は、数日、郷里にいただけで、すぐ江戸へもどった。
江戸では、沖田総司mの義兄で、新選組の小頭になっている同姓林太郎、その女房のお光(総司の実姉)などにも会った。
お光は、総司のことばかりを、くどくどと聞いた。
「なあに、気づかいはないです」
と歳三は言ったが、事実は、総司は月のうち半分は寝込むようになっていた。
薬は、医者の投薬したものも飲むが、歳三の生家の家伝の薬も飲んでいる。
土方家には、歳三がかつてそれをになって売り歩いていた打身薬「石田散薬」のほかに、結核にきくという「虚労散」という名の薬があり、歳三は、それをわざわざ京まで取り寄せては、沖田に飲ませていた。
歳三がせん じてやると、
「いおやだなあ」
と不承々々、飲む。
「土方さんのためにむんですよ」
と恩に着せたりした。
「お光さん、こんども、それを持って帰ります。あれは効きますから」
薬売りのころのくせで、こんなことを自信をもっていう。いや、歳三自身も、自分の薬は効く、と信じ切っていた。諸事、そんな性分の男なのである。
隊士は、選りすぐって二十八人。
十月二十一日未明に近藤屋敷に終結し、江戸を発った。
それより数日前の十四日、将軍慶喜よしのぶが大政を奉還した。という事実があるが、江戸にいる歳三の耳にまでは入っていなかった。
小田原の本陣で聞いた。
そのとき、歳三は顔色ひとつ変えず、
「なあに、新選組の活躍はこれからさ」
と、ひとことだけ言った。
十一月四日、京都着。
三条大橋を渡ろうとすると、前夜からの風雨がいよいよつのって、むこう岸が濛気もうきでくろずんでみえた。
歳三は、橋の上に、ぼう然と立った。これほどすさまじい表情の京を、見たことがなかった。
2024/03/18
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